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| 人間の生き死にを見つめる心臓外科医という職業。その心臓外科を極めた医師には、人体と経済構造にいくつもの類似点をみることができるという。いったい現在の日本社会そして目本人の生き方はどのように見えるのだろうか。世界がその腕を認める心臓外科医が、医学的発想で21世紀のメンタリティーを提言する。 |
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1950年兵庫県生まれ。74年大阪医科大学卒業。虎ノ門病院外科、順天堂大学胸部外科を経て82年より大阪医科大学胸部外科勤務。84年米国ユタ大学心臓外科へ留学。三井記念病院心臓血管外科部長、湘南鎌倉総台病院院長を経て2000年5月から葉山ハートセンター院長に。ローマ・力トリック大学心臓外科客員教授、モナコ心臓センターのコンサルタントなどを兼任。 |
今回の新春セミナーの講師として、お坊さんより先に医者を呼んだということは、まだまだ日本には脈があると竹村先生が思われたからだと思いますが(笑)、いま日本はお金のめぐりが悪く、「循環障害を起こしている」といわれています。一方で、日本を「循環式の社会」にしようという議論もあります。どうやら「循環」という言葉が最近のキーワードとなっているようです。
ところで私ども心臓外科医の務めは、循環障害を治療することです。この仕事に携わっていると、社会と人体の構造には多くの共通点があることが分かります。そこで今日は、「医者の目には世の中がどう見えるのか」についてお話ししたいと思います。
人体構造と社会構造の共通点を説明する前に、まず循環障害についてご説明いたしましょう。循環系が破綻する場合、大きく分けて二つあります。ひとつは出血、もうひとつは鬱血です。
出血の場合は、治療は比較的簡単です。破損した箇所を修復し輸血すればいいからです。これを会社経営に置き換えて考えれぱ、無駄遣いばかりして資金繰りに困ってしまったら、無駄遣いをやめ、借金を返済しながら真面目な生活をすれば回復します。
経営も治療もタィミングが大切
ところが、鬱血の場合は、話が少々複雑になります。鬱血とは、身体の血液の流れがとても悪くなり、あちこちに血液や水分が滞ることですが、これには三つの原因が考えられます。ひとつは、身体に血液を送り出す、心臓(ポンプ)が十分に機能しないこと。もうひとつの原因は、心臓の機能不全に反応して、体中の隅々にある末梢血管が収縮して血が通りにくくなること。三つ目が、最後の段階で血液を活用するはずの細胞の代謝が低化してしまうことです。この三つが絡み合って鬱血状態が起こります。この鬱血というのは、どこか今の日本経済に似ていますね。
では、医者はどのように鬱血を治すのでしょうか。原因が三つあるのですから、治療の方法も当然3通りあります。1つは心臓のポンプ機能を高めること。2つに血管の緊張をほぐして、血を通りやすくすること。三つ目は細胞の代謝が活発になるように元気づけるということです。
経済に話を置き換えれば、一番目の治療法は会社を活気づけてどんどん経営をよくすること。二番目は、規制緩和をして流通をよくすること。三番目は、国民がお金を使うことを楽しいと感じること、と考えられます。
循環障害の治療では技術や薬も大切ですが、最も大切なのはタイミングです。たとえば、治療のタイミングを間違えると逆効果になります。末梢血管が収縮したままで心臓の力だけを強めると、心臓が疲れてしまうからです。一方で、心臓の力を強めないで末梢血管を緩めてしまうと、血圧が下がってショック死してしまう。また、細胞の代謝を高めないで血のめぐりだけをよくしても、素通りしてしまいます。だから、それぞれの治療を状況をみてタイミングよくやらねばならないのです。
会社再生のための経営改革もタイミングが重要でしょう。一つひとつの経営改革は正しいようにみえても、タイミングをはかってサイマルテニアス(同時に)に行わなければ、効果はあらわれないでしょう。では、治療のタイミングはどうやって決めるのかというと、医者の場合はモニターを見て決めます。だから、心臓病の患者さんには心電図がついていて、随時、血圧などがモニター表示されている。そして、薬の効果を確かめながら、次の治療への絶好のタイミングをはかっているのです。
では、会社経営におけるモニターとは何でしょう。これは情報公開なんです。患部の状態をリアルタイムで把握していないとよい治療はできないのと同じように、経営状況をしっかり把握していないと、経営改革もメクラ打ちになってしまいます。
移植手術は可能になったが
次に心臓外科医はどうやって治療をしているのかをお話ししたいと思います。
1950年頃に人工心肺装置が開発され、これによって心臓外科は飛躍的な進歩を遂げました。心臓は他の臓器と違って動いているからです。胃、腸、胆のう、骨、肺、脳などは、麻酔さえかければ手術ができますが、心臓はそうはいかない。
だから、1950年までは心臓外科というのは市民権がなかったんです。ところが人工心肺の登場によって、心臓は止まっているけれど身体は生きているという状態が可能になり、心臓外科が劇的に変わった。だから、心臓手術の歴史はたった五十年にすぎないのです。
人工心肺が開発されてから二十年近く経った1968年、心臓外科の世界で大事件が起こりました。ケープタウンでクリスチャン。バーナード博士が世界初の脳死心臓移植に成功したのです。
日本でも一昨年、ようやく脳死体から心臓を摘出してもよいことになりましたが、心臓移植手術はまだ3件しか行われておりません。そう簡単にドナーを見つけることができないからです。
とはいえ、患者さんに「移植手術ができないので諦めなさい」ともいえません。ですからやはり、持って生まれた臓器を修繕するという基本的な医者の仕事に立ち返り、なぜ心臓が悪くなるのか、どうすれば移植せずに機能を回復させられるのかということを追究することが大切になります。
心臓肥大は身体からの警告
皆さん、健康診断でレントゲンを撮ったときに、「心臓が大きくないから大丈夫ですよ」といわれた経験をお持ちじゃないですか?心臓というのは弱ってくると大きくなるものなのです。では、どうして大きくなるといけないのでしょうか。
心臓は血液を身体中に送り出すポンプの役割をしていますが、送り出す力が半分になって、貯めた血液の半分しか送り出せなくなった、つまり、10貯めたものの5しか送り出せなくなったと仮定しましょう。すると、心臓の示す反応は次の二通りが考えられます。
身体が必要とする血液量は変わりませんから、心臓は不足分を回数で補おうとします。つまり、脈拍数が倍になるのです。これが第一段階です。ところが、これは心臓に非常に負担がかかるため、そう長続きしません。すると今度は、不足分を量でカバーしようとします。身体は10を欲しているのに5しか送り出せないのなら、20貯めれば半分の収縮力で10送り出せる。これを心臓のコンペンセーション(代償作用)といいます。この結果、心臓が大きくなってくるのです。
大きいと何が悪いかというと、たとえば、大小二つの部分を持ったゴム風船を思い浮べてみてください。大きい部分と小さい部分の内圧は同じですが、それぞれを針で突いてみると、小さいほうはなかなか破裂しませんが、大きいほうはすぐに破裂してしまいます。つまり、内圧は一緒でも、サイズが大きくなるにしたがって、風船の壁の緊張は高まるわけです。だから心臓の壁の張力が高くなって収縮しにくくなってしまうのです。
環境次第で蘇生することも
多くの常識的な医学者は、大きくなって収縮できなくなった心臓を小さくするためには、さらに多くの筋肉が必要だと考えていました。ところが、そう簡単に心臓筋肉を増やす薬などありません。だから、もう移植するしかないと考又られていたわけです。
ところが、ブラジル心臓外科のバチスタ博士は、「大きいことが悪いのなら小さくすればいいじゃないか」という非常に単純な発想で心臓を切り取ってしまいました。これが成功して、以後、縮小手術が行われ始めたのです。
ところが、縮小手術には大きな問題がありました。成功率が70%しかなかったのです。しかし、助かる患者がいるということは、一皮剥けば成功率90%も可能なはずです。そういうわけで、私達は二十人ほど手術した後、この手術を根本的に見直したのです。
手術前に、肥大した心臓を超音波やCTスキャンで調べてみても、どこも動いているところは見当たりません。ところが、手術で心臓を開けてみると、心臓は均一に悪くなっているわけではないことが分かりました。ある部分は真っ白になってほとんど死んでいても、他の部分はピンク色をしていてあまり痛んでいない。
バチスタ博士が行った方法では、外科医の都合で切りやすいところを切っていました。その手術法の前提には、心臓はみな一様に悪くなっているはずだという思い込みがあつたのです。
しかし、もし健康なところと悪いところが混在しているとすればどうでしょう。悪いところを切り取るのなら問題ありませんが、心臓の機能を支えている健康な部分を切ってしまったら、手術は絶対に失敗します。ですから、切る前にどこが悪いのかを見分けなければならないはずです。
心臓が動けないといっても二通りの状態が考えられます。ひとつは、「環境が悪くて動きたくても動けない。だけど俺はまだ死んでいない。やる気はあるよ」という状態と、「何をどうしてもらっても私はもうダメ」という状態です。その違いをどう見分けたらいいのか。
いろいろ考えた結果、人工心肺を使いました。人工心肺に乗せて心臓を休めると、心臓の張りが緩みます。緩んだ一瞬に元気なところは動く。死んでいるところは動かないまま。
この方法で悪い場所を見分けてから切ったら、成功率は世界一の90%になりました。場合によってはパンパンに張ってダメなように見える心臓でも、緩めてやると動き出す場合もあるんです。
これは会社のリストラと同じことではないでしょうか。盲目的に切り捨てるのではなく、どこが本当に悪いのかを見極めなければ、良い結果は得られないと思います。
テクニックよりハートが大切
ここまでは心臓外科の方法論やノウハウについて話しましたが、後半は心構えについてお話ししたいと思います。
ノウハウさえ知っていれば、どの医者が手術をしようが同じ結果が出るはずです。ところが実際には、やる人によって結果が異なる。これはどうしてでしょうか。
つまり執刀医のセンスやリーダーシツプがピシッと合わないと、いい結果というのは出ないわけです。
ところで、名医といわれる外科医は、どうして腕がいいと思われているのでしょうか。顔がいいからということはないですよね(笑)。器用だからでしょうか。ピアニストのような指をしているからでしょうか。ほとんどの人は手術は手の業だと思っていらっしゃるし、外科医の多くもそう思っているようです。だから〃手術”という言葉になったんでしょうね。
名医に求められる三つの要素
ところが英語では手術をoperation(オペレーション)といいます。「手術」ならばhand
work(ハンドワーク)でいいはずですよね。なぜオペレーションなんでしょう。要するに、手術は手の業だけではないということなんです。
手術を高い成功率でたくさんこなしていくためには、三つの要素が必要だと私は考えています。一つはイマジネーション(想像力)、次はジャッジメント(判断力)、そして最後にテクニカル・スキル(専門的な技能)です。この三つが絡み合ってはじめてよい手術をコンスタントに行うことができるのです。
外科医になぜイマジネーションが必要なのか不思議に思われるかも知れませんが、これは非常に大切なことなんです。たとえば、明日、3時間の手術をするとします。すると、前日に目をつむって、メスを入れてから縫合するまでの3時間の流れを、三分以内に頭のなかでサーツと描けるようにならなければなりません。これは外科医のファーストステップなんです。
執刀中に、「どうやるんだったかなあ?」などと手術が滞ったら、その時点でアウトです。これを避けるために、イメージをつくることが大切なんです。
次にジャッジメントですが、実際の心臓とイメージ上の心臓は、少し違っているはずです。100人いれば100通りの心臓があります。ですから、頭のなかでイメージしたものと実際の状況が、どこが一緒でどこが違うのかを早くみつけて、早く調整する。手術とはその繰り返しなのです。
そして、三つ目がテクニカル・スキルです。「手術中に何をやるかは分かったけれど、手が震えて何にもできない」では困ります。とはいえ、ハンドワークはオペレーションの最終段階で問題になるので、手が器用なだけでは絶対によい外科医にはなれません。
このことは経営者にも当てはまると思います。会社をリストラするノウハウがいくら分かっていても、誰がやるかで結果は大きく違ってくるからです。ですから、経営者にとっても大切なのは、イマジネーション、ジヤツジメント、テクニカル・スキルだと思います。
ゴールをどこに設定するかがカギ
外科医にとって大切なのは、イマジネーション、ジャツジメント、テクニカル・スキルの三っの力と申し上げましたが、もっと根本的に大切なことがあります。それは「何のために手術をするのか」ということなんです。
つまり、名医と呼ばれるためには、医者としてのフィロソフィー(哲学)が問われるわけです。フィロソフィーがしつかりしていないと、いくらいい技術を持っていても大きな過ちを犯してしまいます。たとえば、非常に腕のよい外科医が難しい手術をするとします。その医者は前日に患者さんと会って、その手術のゴールをイメージするわけです。そのイメージの仕方で結果に大きな違いが出てくるのです。
つまり、手術前に思い浮かべるイメージが、難しい手術を成功させて学会で拍手喝采を受ける自分の姿なのか、それとも患者さんが家族と一緒に「ありがとう」といいながら退院していく姿なのかによって、結果が如実に違ってくるのです。
前者の場合は、自分のための手術になります。ところが、自分のために何かをやると、しなくていい無理をしてしまう。100点でいいところを120点を目指してしまい、それが取り返しのつかないミスにつながるんです。
ところが、もしその患者さんが喜んで帰る姿をイメージしていたなら、細心の注意を払って慎重に手術します。「手術は80点で終わるかも知れないけれど、この患者さんは絶対に死なない。残りの20点で文句をいわれても、私が責任を負おう」と、医者が腹を括ればいいわけです。患者さんに何としても元気になってほしかったら、手術というのは120点ではなく80点でやめられるのです。
外科医のように、人を傷つけて「ありがとう」といってもらえて、そのうえ給料までもらえる仕事というのは、人類の歴史上あり得なかったことです。そのこと自体が異常なことですが、そういう異常なところで毎日仕事をしていると、フィロソフィーの大切さがよく分かります。
入院Lて悟りを開くことも
もうひとつ、物事の考え方という点に関していえば、人が病気になるということは決してマイナスではないということです。
もちろん死んでしまったら困りますが、病気になったことによって自分を取り戻したり、気づいていなかったことに気づくことが、非常に簡単にできるのです。
病気を契機に生き方を変える人を私は毎日みています。心筋梗塞になる人には、社会的に成功したといわれる人が多いですが、反面、非常にアグレッシブ(積極的)に生きてきたせいか、かなり無理をしておられることが多い。
無理をする生き方が染みついてしまうと、それを修正するのはなかなか難しいものです。奥さんがいくら「そこまで頑張らなくてもいいじゃない」といっても、「お前らが生活できるのは、俺が頑張っているからだぞ」などといって、酒を飲んでゴルフに行っているわけです(笑)。でも、こんな生き方で幸せといえるのでしょうか。
あくせく生きていると、こんな素朴な疑問すら頭に浮かぶことはありません。ところが病気になると、死の影がちらつきますから、自分の生き方を振り返ることができるのです。「俺は何のためにこんなことをやってきたのか。家族ってありがたい。友達って優しいな。普通に歩いて、当たり前に食事をすることはこんなに嬉しいことなんだ。でも、もうすぐできなくなるかも知れない。もっとたくさんこの感動を味わっておけばよかったという具合に。
つまり、入院するということは、健康を取り戻すためだけではなく、自分を取り戻すための非常に大きなチャンスでもあるんです。ですから、病院という場所は、ただ病気を治療するという場所だけではなくて患者さんが自分を取り戻す時間を持てる場所なのです。私は医者というのは本来そういう時間を患者さんと共有をするものだと思っています。
人生もオペレーション
21世紀はノレッジ(knowledge)の時代だから、知恵を持てといわれます。では、いったいノレッジとは何なのでしょう。
それは「已を知る」「なすべき仕事を知る」「世の中の動きを知る」ことだと思います。この三つの知のなかでも特に重要なのが、已を知るということです。
頑張るのも結構ですが、度が過ぎては元も子もありません。でも、本人にはどこまでが大丈夫で、どこからが度が過ぎているのかが分からないものです。しかも、限界は人それぞれですし、同じ人でも昨年と今年では限界が違ってくる。
だから、常に己を知り、自分に何ができて何が足りないのか、そしてちょっと背伸びをすればどこにいけるのか、そのために何が必要か、そういうことを常に知っておく必要があります。
ある意味では人生もオペレーションなんです。自分の人生をイメージして、イメージと現実のギャップをどうアジャストしていくか、そしてアジャストするためのテクニカル・スキルを学びながら人間は生きていくのです。だから、「自分はいったい何者だ。何のために生きているのか」という間いを、いつも考えられるくらいの余裕を持って生きるほうがいいと思います。
グローバル時代の新たなリスク
これからインターネットが世の中を席巻して、グローバルな世界になっていくと思います。昨日の講演で竹村真一さんが、「大きくなって世界がひとつになったら非常に危険です。1人のウイナー(勝者)と99人のルーザー(敗者)が出てしまうから」と警鐘を鳴らしておられましたが、まったくその通りだと思います。
先ほど心臓肥大の危険性についてお話ししましたが、大きく膨張するということは、そのこと自体がリスクを負うわけです。巨大化すればするほど、それを防御する壁は厚くならないといけない。その防御する壁とは何かというと、人の心なんですね。
世界中が一つになったときに、すべての人の気持ちがっながっていればいいけれど、気持ちはバラバラだったらどうなるでしょう。おそらく、ものすごく緊張が高まります。そして当然、戦争も起こるでしょう。戦争にも種類がありますが、最も扱いにくい戦争とは内乱です。もし地球がひとつになって戦争が起きたら、誰も手出しのできない内乱になるのです。
おそらく、人類はそういう危険を避けていくと思いますが、これから最も大切なのはメンタリティーを変えることです。20世紀は、「自分のために何をするか。自分を高めるために何ができるか」を考えながら一生懸命頑張ってきた時代だと思います。しかし、21世紀には「自分と他者とがつながっていることを感じて、他者が喜んでくれることに自身の喜びを見出す」メンタリティーを持って、それを実行に移していくことが大切です。
このメンタリティー・シフトによって人々はもっと楽に生き、しかも幸せを共有することができるでしょう。これが実現すれば、世界の壁がしっかりしてきて、21世紀がナイスサプライズの連続になることでしょう。▲
「第8回全国竹村会」(平成12年1月18日) Special Lecture (月刊「世相」NO,236)より