バチスタ手術
−−−須磨久善先生に聞く
ゲスト:須磨久善先生(財団法人心臓血管研究所スーパーバイザー)
ホスト:代田浩之先生(順天堂大学医学部循環器内科教授)
 須磨久喜先生は、世界に先駆けて胃大網動脈クラフトを使用した冠動脈バイパス手術を実施され.また,日本で初めてバテスタ手術を執刀されました.その後,成功率の低かったバチスタ手術に独自の改良を加え,術前に悪化した心筋を見分けて切ることで成功率を上げた須磨先生の手術法は,いま世界の注目を浴びています.
今回のMeet the Historyは、その須磨久喜先生をゲストに.本誌編集委員の代田浩之先生をホストに,世界を飛び回って活躍する須磨先生の活躍と,その裏にある地道な努力,医療に対する熱い思いをお伺いしました.

冠動脈バイパス術における胃大綱動脈グラフトの開発

代田 須磨先生は日本の若い心臓外科医の憧れ,目標となっていらっしゃいますが,いままでの業績にはいくつかのポイントがあると思います.1点目は胃大網動脈グラフトを開発し普及されたこと,2点目は葉山ハートセンターを立ち上げられたこと,3点目はバチスタ手術,さらに内科治療の次のステップとしての心不全外科を立ち上げ,現在も脈々と続く日本の心不全外科の基礎をつくられたことだと思います.現在も現役で活躍中ですが,いままで歩んでこられた道を振り返って,どのあたりが中間到達点,ポイントになったと思われますか.
須磨 心臓外科医を目指そうと思ったときの具体的なテーマ,ライフワークにしようとしたのは冠動脈バイパス手術でした.私が大学に入学したころ,バイパス手術がアメリカで爆発的に広まりました.図書館の医学雑誌でそうした論文をみたことが,自分を心臓外科医に駆り立てた一番大きな要因でした.そのなかで,一人前になれたらいいなと思いながらやってきました.
 1984年にアメリカのユタ大学に留学しましたが,アメリカのバイパス手術にとって大きな節目のころでした.というのは,1970年代に大伏在静脈グラフトを使ったバイパスが一般的に行われていましたが,10年経って,そのグラフトがどうなっているかを調べようという機運がアメリカ,カナダで起こりました.多くの患者さんについて遠隔期の血管造影をしてみると,驚いたことに半分くらいが詰まっているのです.開存しているものも半分はかなりひどい動脈硬化や狭窄がみられました.一方で,少数の外科医たちが使っていた内胸動脈は90%以上がきれいに開存していたのです.そうした非常に衝撃的な報告がアメリカの学会であいついでいました.そこで,一つは内胸動脈を優先的に使わないといけないこと,もう一つは第2の内胸動脈,つまり,他のところから内胸動脈に匹敵する動脈グラフトを探してこないといけないということが,当時の大きなテーマでした.
 1985年に帰国してからは,母校の大阪医科大学でその研究に夢中になりました.まず内胸動脈を使う.同時に他のもので思いついたのが胃大網動脈(gastro epiploic artery;GEA)でした.
 私は当時35歳でしたから血気盛んなころで,熱中してやり始めました.それが私の心臓外科医としてのキャリアの大きな節目だったと思います.そのことによって自分のモチベーションも高まりましたし,周りのみる目も変わりました.海外からも非常に注目していただいて,公開手術に出かけていくようになり,講演も20カ国くらい回りました.そうなりますと自分も普通の外科医では済まなくなってしまったのです.胃大網動脈を使ったことが一つの起爆剤になりました.
代田 日本に帰ってこられて,内胸動脈はもちろん使って,それ以外のグラフトは何かと考えられたときに,胃大網動脈に注目されたきっかけはなんだったのでしょうか.
須磨 それは,虎の門病院での一般外科レジデントのトレーニングが大きいと思います.私は学生時代に外科医,しかも心臓外科医になれたらいいなとは思っていましたが,大学の医局に入って,一般的な外科を型通りやって,すぐ心臓外科に入っていくのはすごく不安がありました.もし自分が心臓外科医としてやっていけなかったときに,戻る場所がないわけです.目指すのは広い基盤の上に立った心臓外科医であって,心臓しかできない外科医ではいけない.まず広くきちんと一般外科を教えてくれるところに行こうと思って,虎の門病院のレジデントの試験を受けました.
 幸い採用していただいて,そのころ,秋山洋先生が食道癌をはじめ消化器系のすぼらしい手術をされていて,たくさんの患者さんが集まっていたので,レジデントでも手術を経験させていただきました.レジデントの3年目には,オペレーターとして胃癌の手術をかなり経験しました.癌ですから,術後のリンパ系の検索で,胃大綱動脈を全部剥がしてリンパ節をみるという操作もあって,腹腔内の臓器に手術操作を加えることが身についてくるわけです.
 冠動脈バイパスグラフトとして,内胸動脈に代わる血管が横隔膜より上にあるとは思えませんでした.お腹のなかで横隔膜に一番近い臓器というと胃袋だから,胃に4本ある血管のうちのどれかが使えないかと,ふと思いつきました.
 思いつきだけではいけないので,まず放射線科の教授のところに行きました.腹腔動脈造影の写真を100枚借りてきて,糸を使って,幽門部のところから右胃大綱動脈の長さを測りました.バイパスで使うには内径が最低1.5mmは必要です.末端が1.5mm径のものが何cmくらいあるか.100枚の写真から,太いもの,まあまあのもの,細いもの,まったく使えないものと,4種類に分類しました.そうしましたら約95%の確率で1.5mm径の動脈が20cmくらいあることがわかりました.
 次に,両方切り離してつなぐのならよいのですが,根元をつけたままだとすれば,何cmあれば右冠動脈の後下行枝に届くかを確かめないといけません.そんなことはどの教科書をみても書いてありません.そこで病理学の教授のところに行きました.解剖時に一緒に参加させてもらい,ヒモで幽門部から横隔膜を通して,右冠動脈,前下行枝,回旋枝に,何cmあればゆったり届くかを測らせてもらいました.そうしますと,22〜23cmあれば必ず届きました.その22〜23cmの距離で径が1.5mm以上ある確率がどれくらいかというと,90%以上あることがわかりました.
 次に,クオリティが内胸動脈と同じかどうかです.胃大網動脈を使ってはみたけれども,動脈硬化で詰まるようでは困ります.消化器外科の教授のところに行って,胃癌で全摘手術をしたときの血管だけいただいて,また病理に行って20例か30例くらい連続切片を切ってもらい,内膜肥厚から動脈硬化の程度がどれくらいあるかをみてもらいました.そうすると意外と少ないことがわかりました.内胸動脈より内膜肥厚の程度はやや強いけれども,ひどいことは起こっていません.ここまで地固めをすれば臨床をしても誰も文句はいわないだろう.ここまでに半年かかりました.
 そして第1例を待ちました.静脈も内胸動脈もある人に,突然胃大網動脈を使うわけにはいきませんから,使う必然性のある患者さんを待ちました.そうしましたら,静脈全部使って5枝バイパス術を受けて,それがみんな詰まってしまっている,しかしviabilityがあるのでバイパスが要るという人が来ました.カンファレンスで,左の内胸動脈と胃大網動脈と2本使ってバイパスをしようと思うと提案しましたら,教授も了解してくれて決定しました.
 実際に取ってみると,その患者さんは幸いなことに胃大網動脈が内胸動脈より太かったのです.そこで胃大綱動脈を前下行枝につなぎ,内胸動脈を回旋枝につなぎました.
 また半年ほど待ちましたら,同じような患者さんが現れて,同じように胃大網動脈を前下行枝につなぎました.この2例とそれまでに行った基礎的研究を論文にして,アメリカのAnnals of Thoracic Surgeryに投稿しました.それでレビューが返ってくるのを待っていたら,採用しますが,同じような手術をした人が他にもいて,近々それがもう一つの有名な雑誌,Journal of Thoracic and Cardiovascular Surgeryに載りますというエディターからのコメントが来ました.その医師はカナダのPym先生という人でした.同じようなことを考える人がいるものだと思いましたが,ほとんど同時期にそれぞれの雑誌に掲載されました1)2)
 その半年ほど後,私がオーストラリアの国際学会で発表したときに,彼も来ていました.そこでいろいろ話をして,「なんでそんなことを考えたの」と聞いたら,彼はVineberg先生のいたトロントでトレーニングを受けて育ったそうです.そしてVineberg先生と同じ時期に,Baileyという有名な先生が心筋にトンネルを作って胃大網動脈を埋め込んでいました.いまでもニューヨークで活躍されている広瀬輝夫先生が,Bailey先生と組んで埋め込んだ胃大網動脈の造影をしてpatencyをみたという論文3)があります.
代田 それは何年ころのことですか.
須磨 1900年代後半です.Pym先生は,そういう歴史を知っているものだから,動脈グラフトの時代だからもっと積極的に使おうというので,胃大綱動脈に着目したのです.彼は彼でこんなこと他に誰もやっていないと思っていたら,私がやっていたわけです.おまけに前下行枝にまでつないでいるし,基礎的な研究もここまで行っているし,大したものだと誉め
てくれました(写真1).
代田 当時の外科では,胃大網動脈を取ること自体,機能的にまったく問題ないということはわかっていたのですか.
須磨 私自身は消化器外科でそういうものをみてきていましたから,4本のうち1本を使ってもなんともないことは確信していました.ただ,学会で発表すると,胃潰瘍になるのではないか,胃の機能はどうかと必ず質問されます.これを証明しないといけないと思って,先端に血流測定器のついた胃の内視鏡を手術のときに入れておいてもらって,胃大網動脈を外す前と外したあとで,胃の前庭部,体部,幽門部のいくつかの箇所で血流を測定しましたが,まったく差がありませんでした4)
代田 そのあと長期予後でみたときに,日本人では胃に悪性腫瘍が出てくる可能性もあるので,そのときの手術時にバイパスが前にあると困るのではないかという議論もありましたね.
須磨 そんな危ないことをしてどうするのかという質問もありました.そのときも秋山先生に助けていただきました.虎の門病院を訪ねたとき,秋山先生に「こういうことを聞かれるのです.私が胃の手術をするわけではないから,先生だったらどう説明されますか」とお開きしたのです.そうしたらニコッと笑って,「そんなことは消化器外科医が考えるからなんの心配も要らない.君は本当に心臓によいと思う手術だけを一所懸命やればよい.だいたい血管が前を通っていても,手術のときにはなんの支障もない」といわれました.「先生がそうおっしゃっていたと他の人にいっていいですか」と聞いたら,「いいよ」とおっしゃってくださいました.それ以来,学会での返事には全部それをいうので,あとは誰も何もいいません.(笑)
代田 それはそうでしょうね.

日本から世界へ−ベルギーでのライブ手術
代田 先生の論文がアクセプトされたあと,胃大網動脈はどのように世界的に普及していったのですか.
須磨 まず日本のなかでいろいろなところから関心をもっていただいて,手術に出かけました.論文が掲載されたのが1987年で,1991年にはベルギーのブリュセルのルーベン大学のDion先生(現在オランダのLeiden大学の心臓外科主任教授)(写真2),両側の内胸動脈を積極的に使用して完全血行再建をすることで有名な先生ですが,彼から公開手術をやりましょうといわれました.公開手術はいまでこそ日常的ですが,その当時,心臓の手術,とくに非常に細かいバイパス手術をライブで公開するというのは,それほど一般的ではありませんでしたし,受けて立つ外科医もそれほど多くありませんでした.
この申し出を受けまして,3日間で私が3例,Dion先生のチームが5例の手術をしました.クリーブランドクリニックやヨーロッパの高名な医師たちを含めて,250〜300人くらいの心臓外科医が集まりました.そのときみにきてくれたなかに,いまは有名になった渡邊剛先生(金沢大学第一外科教授,東京医科大学心臓外科教授)がいました.彼はハノーバー大学に留学中で,かわいい日本人がいるなと思ったら,「渡邊といいます」といってきて,すごく喜んでくれました.
そうした公開手術を行ったのがきっかけとなって,さらにいろいろなところから呼ばれて,カイロでもエジプト初の公開手術をしましたし,オーストラリアのメルボルンでも,ローマでも東京でも行いました.そういうものをみた人が,私もやってみようということで胃大綱動脈グラフトが世界に広がっていったのです.
代田 そうやって技術を教えなければいけないという環境になられたことが,大学病院から三井記念病院に移られるきっかけになったのでしょうか.
須磨 三井記念病院に移った理由の一つは,私は関西生まれですが,生活の場としては東京のほうが好きなのです.永住の地は東京にしようと思っていたので,三井記念病院から声をかけていただいたときに,「わあ,東京だ」という思いがありました.非常にアクティビティの高い伝統のある病院で,当時,山口徹先生もいらっしゃったので,さらに手術がたくさんできるようになるのではないかという期待もありました.
代田 同じような時期にローマカトリック大学の客員教授になられたわけですね.
須磨 そうです.三井記念病院に赴任したのが平成元年(1989年)です.来て間もなくベルギーでの公開手術などがあり,年間10回くらい,あちこちから呼ばれて講演や公開手術,あるいはメジャーな学会での発表があって外国へ行っていました.
イタリアにAntonio Calafiore先生(写真3)というバイパス手術の得意な医師がいて,いまは世界的に有名になっていますが,彼もベルギーの私の公開手術をみて,これをやらないといけないと考えて,キエティ大学に私を招待してくれました.そこでも公開手術を行いました.イタリア中から医師が見学に来ていて,ローマカトリック大学からも来ていました.2005年に前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が亡くなりましたが,ローマカトリック大学は,イタリアの私立大学では一番歴史が古く,バチカン市国が完全にサポートしているところです.そこから,もう一度来て手術をしてほしいといわれて,7人の手術をしました.それを気に入っていただいて,1年か2年,客員教授として来て手術を教えてくれないかというお話をいただきました.
それが1994年です.三井記念病院で5年近く手術をして,ずいぶんたくさんの症例が貯まったころにその話が来ました.ローマが魅力的なことと,外国から教えてくれといわれることも大変ありがたいことなので,ローマカトリック大学に行きました.
MDCABを日本へ

代田 湘南鎌倉総合病院のときでしたか,先生は日本でも早くからminimally invasive direct coronary artery bypass(MIDCAB)を導入されましたが,それはCalafiore先生との関係もあったのでしょうか.
須磨 はい.いまのoff pumpのさきがけになったのがMIDCABです.私がローマに行ってすぐの1994年12月に,ローマカトリック大学の主催で「バイパス手術−最新の話題」というシンポジウムが3日間ありました.これは世界中からすばらしい医師が500人くらい集まり,なかなかインパクトのある学会でした.私はゲストの選択をしたり,学会のプログラムをつくりました.Calafiore先生と私で全体のプログラムをつくり,Calafiore先生と私とあと2人ほど外国の先生がライブ手術をしました.
そのなかにアルゼンチンのFederico Benetti先生の発表がありました.当時アルゼンチンは経済的な理由で人工心肺を使わない昔ながらのバイパス術が残っていました.Benetti先生はそれをさらに低侵襲化しようと,左の側胸部の小さな傷で内胸動脈を取って前下行枝につなぐ,いわゆるMIDCABの原型のような手術のビデオを発表されました.95%くらいの人は,そんなことをやってどうするのという反応でしたが,Calafiore先生と私とニューヨークから来ていたアメリカの医師など数人が,「おもしろそうだからやってみようか」ということになったのです.
彼らがMIDCABの歴史を語るときは,必ず1994年のローマでのミーティングが出てきます.私たちが主催したことがきっかけになって,MIDCABが芽を出したのです.ニューヨークに帰ったSubramanian先生とCalafiore先生がオピニオンリーダーになって,どんどん世界へ出ていきました.Calafiore先生はキエティで,私はローマでやりました.当時はスタビライザーがなかったので,2人とも同じようにフォークみたいなもので心臓の表面を押さえて吻合をやり易くする工夫をしました.「どうしたらいいか」「こうしたらよかったよ」としょっちゅう電話で話しながらコツコツやっていて,私も20例くらい施術しました.
それから日本に帰り,湘南鎌倉病院に勤めて,1例日のMIDCABを1996年3月に行いました.それがたぶん日本で最初だと思います.
代田 それから日本では一気に普及したということですね.
須磨 日本のすごいところは,よいと思うものが出てくると,みんながわっと寄って吸収する爆発力があります.外科のテクニックも広まるのが非常に速い.
代田 一気に広がって,少し反省期に入るということになったと思います.

バチスタ手術への道
代田 須磨先生が湘南鎌倉病院にいらっしゃったころには,次のステップとして心不全外科をスタートされています.当時,バイパスの手術をしながら,次はどういうことをやろうという構想は頭のなかにあったのですか.
須磨 次というより,ローマから日本にもって帰った手術がいくつかありますが,そのうち大きいものの一つがoff pump,MIDCABで,もう一つがバチスタ手術です.ローマにいたころ,バテスタ手術はヨーロッパで非常に大きな話題になっていました.心臓外科の学会に行くと,バテスタ手術を知っているか,みたことがあるかという話ばかりしていました.私のいたローマカトリック大学でもイタリア人の医局員をブラジルに2週間,Batista先生のすべての手術をビデオに撮ってきなさいといって送り出しました.彼が帰ってきて,ビデオをみたら,大きな心臓をBatista先生(写真4)はバサッと切っていました.患者さんは本当に生きて帰ったのかと聞くと,歩いて帰ったという.亡くなってしまった人もいるけれども,助かる人もいるというので,とても気になりました.
 日本では当時,心臓移植がまったく現実的でなかったから,日本でこそ必要な手術になるのではないかと思っていました.日本に帰ってきて,MIDCABのほうが導入しやすかったので先に行いましたが,バチスタ手術は相当に腰を据えてやらないといけない仕事だと思っていました.0ff pumpバイパスは,そういうと身も蓋もありませんが,サイエンティフイックな部分はほとんどなく,単にテクニックでできるかできないかだけで,できてしまえばそれまでの話だと考えていました.
 バチスタ手術に始まる心不全外科は,心不全をきたす心疾患というところから勉強し直さないといけませんでした.冠動脈の勉強しかしていなかったから,心機能については詳しく知らなかったわけです.左心機能の勉強をしないといけません.それから僧帽弁のことも勉強し,左心室のdimensionも勉強し,geometryを勉強し,viabilityを勉強し,そこから手術を考えなければいけません.大変だなと思ったけれども,これこそ本当にやらなければいけないし,おもしろいものだと思いました.
代田 それは湘南鎌倉病院に移られたころでしょうか.イタリアですでに構想をおもちになっていたのでしょうか.
須磨 すでにローマで頭のなかではいつかはと思っていましたが,そんな手術を簡単に頼んでくるとは思っていませんでしたし,まして民間病院でできるかどうかもわかりませんでした.私としては立派な伝統ある病院がまず行うだろうと.それをみながら自分も手術できるようにしていかないといけないくらいに思っていたのです.そうしたら,第1例の患者さんが現れてしまいました.
日本で最初のバチスタ手術
代田 その患者さんは,バチスタ手術をやってくださいと頼まれたのですか.
須磨 都内の大学病院に入院していて,きちんとした診断,内科的治療を受けておられる患者さんで,拡張型心筋症の末期状態でした.内科的治療は限界で,あとは悪化していくのをみているしかありません.私が帰国したころ,こういうおもしろい手術が世界で注目されているという話をプライベートでしたことがあるので,それを聞いていたその大学病院の先生から,その手術ができないかという相談がありました.私も経験がないし絶対に助けられるという保証は全然ありません.まず患者さんのご家族と話をしたうえで,私もよく考えて決めないといけないと思いました.そうしたち会ってくださいといわれたのです.
そのころアメリカでは学会が編集したバチスタ手術のビデオを売っていましたから,それと,海外の報道などをインターネットで調べてもって行っておみせしました.「こんな手術ですが,私もやったことはありません.絶対に手術で死なないという保証もないし,一回うまくいったらずっとそのまま元気という保証もない.知っていることは全部お話しします」という説明をして帰りました.
2週間くらいしてから「受けたいといっておられます」という話がありました.私がもう一度話をしたら「やはり受けたい」とおっしゃる.一方で,内科治療では無理ということがありましたので,私もここまできたらやるしかありません.そして,やるとなったらベストの状況でやろうと思いました.
そこで私ができる準備の一つは経験者を呼ぶことでした.一人はアメリカで初めてバチスタ手術を行ったニューヨーク・バッファロー大学のTomas Salerno先生,もう一人は先ほどお話ししたイタリア・キエティ大学のAntonio Calafiore先生で,彼はヨーロッパで初めてのバチスタ手術を行った人です.もう一人は心筋保護の神様といわれたUCLAのGerald Buckberg先生で,日本人もずいぶん留学して教えていただいた世界的に有名な医師です.悪い心臓を手術するときには,心筋保護が大きな問題になります.
誰か一人でも来てくれたらいいなと思って,この3人に電話をしました.この3人とは海外で公開手術やシンポジウムを一緒に行っていたので,友達づき合いがあって,そういう無理なお願いもできたわけです.電話で交渉をすることにしましたが,ロサンゼルスとニューヨークとイタリアと時差が3〜4時間ずつある.それを夜中に追いかけて電話をすると,寝ている時間がありません.交渉するのに3日間はほとんど寝ませんでした.誰か来てくれないと不安です.当のBatista先生にも連絡を取ってもらったのですが,南アフリカのケープタウンかどこかに手術に行っていて連絡が取れませんでした.
  そうしたら3人とも来てくれると返事をくれました.その代わりみんな忙しいから,「手術の前日に行く.患者を一緒にみる.手術を一緒にやる.次の日に帰る.それでいいか」「結構です」ということで全員来てくれました(写真5).
まずこの患者さんにこの手術をすることが正しいかどうかが基本なので,みてもらいました.診断は間違っておらず,このままだと2カ月ももたないだろうということで,バチスタ手術を行うことに異存はありませんでした.翌日,1996年12月2日,私が手術して,Calafiore先生が助手,あとの2人が周りでみていて助言する態勢でした.初めてやる手術としてかなりガードを固めて,取りこぼしがないようにできたとは思います.内科医が術後のエコーをみて,EFの数値など状態は明らかによくなっているといってくれたので,成功ということでみんな帰っていきました.
ところが,その患者さんは心臓だけでなく,両肺にものすごい巨大ブラがありました.片方は手術を受けていて,片方に大きいブラが残っていた.これも手術しないといけないのですが,心臓の状態が悪すぎてできない状況でした.最初の手術ケースとしてはもっと条件のよい人だったらよかったのにと思いますが,こちらの都合ばかりいっていられません.そういう状態で手術しましたら,心配していたとおりブラのそばから肺炎を起こしていました.全身状態がかなり弱っていたものだから,それが一気に広がって,呼吸不全で亡くなってしまいました.術後12日目でした.
代田 須磨先生は相当のショックだったと思いますが,いろいろな記事やテレビ番組を拝見すると,結果的にはそのご家族の方が手術を受けられたことを肯定的にとらえられて,逆に励まされたということですね.
須磨 そのとおりです.人のかかわりあいというのはさまざまで,自分の考えではよい手術をしたと思ったのにあまり感謝してもらえないこともあれば,結果として亡くなってしまったのに信頼してもらえることもありますが,後者の典型的な例でした.誠意は尽くしたし,取るべき手段,準備は全部整えたから,自分としてはベストを尽くしたと思います.しかし,そういう結果なので,普通は残念だという気持ちのほうが強いと思いますが,しばらく経ってから,亡くなられた患者さんの奥さまから,お手紙をいただきました.「私は全然後悔していません.手術を受けられると決まったときから手術の日まで,主人は本当に笑顔が出て,私もこれでもう一度元気になって一緒に暮らせるという夢がみられました.それまでは毎日が地獄で非常に暗い日々だったけれども,その時間そのものが自分たちにとってはすばらしいものでした.主人は亡くなったけれども,術後の心臓がよくなったということを考えれば,この一つの結果でこの手術をやめるべきではないと思います.拡張型心筋症で苦しむ他の患者さんのためにも,どうか続けてください」という内容でした.
バチスタ手術の継続と改良

代田 ご家族の方からそういうお手紙をいただいたこともあって,2例日を実施することになりますが,その経過は決して平坦ではなかったと思います.どういうアプローチをすればよりよい成績が得られるとお考えになったのでしょうか.
須磨 自分にとって力強い支えになったのは,若いころに胃大網動脈を使ったバイパス術を初めて行ったときの体験です.突飛な発想の手術を初めてやるときに,世間,とくに同業者はどういう反応を示すのかという洗礼を浴びています.まあ似たようなことが起こるのだろうなと,ある程度の覚悟はできていました.もちろん手術が手術だから社会的な影響も大きい.ただ,ほかに選択肢がない人に対して,なんとしてもこの手術を根づかせないといけないという覚悟があって始めたので,その奥さまからの手紙も支えになって,続けていくことについてはまったく揺らぎはありませんでした.
  ただ,いくら続けてもみんな亡くなっては困ります.とくに2例日を成功させることが重要で,次の手術は合併症のない人にしようと考えました.そして,1997年3月に2例日のバテスタ手術を行い成功しました.以降,その年に13例を行い,全15例中12人が回復して退院しました5)6).その間,手術の手技や道具の改良も,どんどん提案して作ってもらいました.そういうことを積み重ねているうちに,平静心で,チームとして手術できるようになりました.
最初のころは,バチスタ手術を行う週は他の手術はなくして,その患者さんの術後管理にみんなかかりきりでやっていたのが,いつの間にか次の日にも手術が入るようになって,場合によっては1日2例のうちの1例になったり,ICUの看護師さんたちも割と平静に受け止めてくれるようになりました.20例から30例くらいの間にそうなりました.それが手術する側の経験から得た自信みたいなものでした.
  残された問題点は,同じようにうまく手術できたと思うのに,とてもよくなる人とあまりよくならない人がいました.何が違うのかがどうしてもわからない.いまはシカゴの病院に移りましたが,当時クリーブランドクリニックに勤めていたPatrick McCarthy先生とは,バチスタ手術を始めたころから,頻繁にEメールを使って情報を交換していました.この写真は,私たちがバチスタ手術を始めて間もなくワシントンDCでアメリカの胸部外科学会があったとき,アメリカのジャーナリストが私たちを呼んで対談したときのものです(写真6).それくらい彼もアメリカで注目を浴びていました.2人が考えていることや迷っていることがとても似ていたので,頻繁に情報交換をしていたのです.でも,何が当たりで何が外れか,お互いどうしてもわからない,やってみないとわからないのでは困る.
ある日,左室を開いてふと思ったのは,心筋に状態のよいところと悪いところがあるということです.特発性拡張型心筋症(dilated cardiomyopathy;DCM)は筋肉線維の病気ですから,多少の差はあっても一様に悪くなっているものだと思い込んでいました.Batista先生もきっとそうだったと思います.実際に術前のエコーをみても,心室はパンパンに張って壁は薄く全体に動いていないので,すべて悪いとしか思えませんでした.しかし,手術をして左室を切り開いて中がパッとみえたとき,ある部分は内膜が白く壊死しているのに,ある部分はきれいなピンク色をしている.「これはinfarctionではないよね」「違います.DCMです」.なぜここが死んで,ここがきれいなのか.ひょっとしたらいいところと悪いところがあるのではないか.いいところを切って悪いところを残すような手術をやったら,よくならないのは当然です.
そこで,組織学的な違いをみてみようと,何十例か標本を見直しました.それまでは切り取った部分の標本しか出していませんでしたが,残した中隔側の組織も採って,病理で線維化の程度をみてもらいました.そうしたら,驚いたことにものすごく差があるのです.ケースバイケースで,こっちがよい,こっちが悪い,すごく差があるというのが出てきました.大雑把にいうと,だいたい同じが3分の1,中隔側がよくて側壁側が悪い,つまりバチスタ手術に適切なのが3分の1,その逆,やってはいけないのが3分の1あるということが,組織学的な比較からわかりました.
しかし組織でわかったのでは遅いので,なんとか術前の画像診断でわからないか,超音波画像を全部見直しました.よいところと悪いところがあるはずだと思ってよくみると,微妙だけれども確かに違いがあるのがわかりました.しかしよほど見慣れないとわからないし,周りを説得できるほどの違いはありません.何かもっとはっきりわからないかと思って考えたのが,volume reduction testです.パンパンに張っていて動かない筋肉は2種類,死んでしまっているものと,生きているけれどもがんじがらめで動けないものがある.その違いをどうしたら見分けられるか.心筋の張りを取って緩めてやると違いがわかるのではないか.
そこで手術中,左室を切る前に,超音波画像をみながら人工心肺を回して,なかの圧をすっと落としていくと心筋の張りが取れます.張りが取れると生きているところは厚くなって動きがよくなる.死んでいるところは動かない.これでどこを切るべきかがわかります.全体的によくなる.ものもあって,そういう場合は弁だけ修復して左室は切りません.
最後に,心室中隔が悪い場合ですが,もちろんバチスタ手術はできません.心筋梗塞のDor手術がありますが,DCMの筋肉は柔らかくてもろくDor手術のやり方では筋肉が全部切れてしまうので使えません.そこで工夫して考え出したのが,SAVE手術です.
代田 現在のバチスタ手術,SAVE手術,僧帽弁だけを修復する手術というのは,私たちも認識としてはもっていますが,心臓血管外科のなかで心不全外科が必ずしもスタンダードになったという感じはしません.SAVE手術は別として,バチスタ手術に関してはまだ十分なポピュラリティをもっていません.現在どのようにお考えかはわかりませんが,McCarthy先生もクリーブランドクリニックにいたときは,バチスタ手術に必ずしもポジティブでない発表もしたように思います.その点についてはどうお考えですか.
須磨 Batista先生が提案したコンセプト,すなわち単に大きいものを小さくしよう,切るのはこちら側だけというのは,私もリスクが高すぎると思います.Batista先生がいったとおり徹底的に小さくする,よいところ悪いところ関係なく,側壁,心尖部をばっさり切ると,残るのは中隔だけです.中隔がよいのか悪いのか,何も考えずにやったクリーブランドクリニックでの63例の結果をもとにMcCarthy先生は,これはだめだといったのです.
しかし,そこで私たちが考えてきたようなことをみつけて,新しい選択肢を伸ばしながら手術を進化させていくと,また違う答えが出てくると思います.そのことをずっといい続けていますが,バチスタショックというか,一般的に手術死亡率が高く,世界中の心臓外科医が聞くのも嫌だ,二度とやりたくないというほど痛い目に遭ってしまったこともあり「いまごろ何をいっているの」と全然話を聞いてくれない時期が5年ほどありました.
しかし,それでもずっといい続けて症例も増やしていくうちに,一昨年,学会のディベートでMcCarthy先生も「須磨先生のコンセプトであれば,もう一度考え直してみないといけないかな」といっていました.
代田 それが2004年ですか.
須磨 はい.2004年にはヨーロッパの大学からもずいぶん教授たちが葉山ハートセンターに見学に来られましたし,2005年1月にはオランダの歴史のあるライデン大学の教授に呼ばれて,移植の候補者だけれども移植を拒否した拡張型心筋症の患者さんに手術をしてほしいというので,内科の教授たちも集まってみているなかで公開手術を行いました.また,今年にはいってアメリカの胸部外科学会に論文が採用になりましたし7),少しずつ聞く耳をもつ人達が増えてきたと思います.

これからの心不全治療
代田 日本のように移植が十分に進まないところでは,須磨先生の心不全の手術が期待されていましたが,それが現実になったのはかなり大きな意味をもつと思います.一方で,いま補助人工心臓や再生医療が出てきていますが,これから心不全,ことに拡張型心筋症の手術はどういう方向性になっていくと思われますか.
須磨 どれか一つを選択するのではなく,いいとこ取りのてんこ盛りみたいな治療が心不全のリアルワールドな治療になると思います.
 手術の前に両室ペーシングが,ワイドQRSだけでなく,もっと深く掘り下げたレベルで,どういうものに効くのか,どういうタイミングがよいのかが研究されていくでしょう.それと悪い左室を治すときに弁だけでよいのか,左室も切るのか.切るならどちらの手術を考えるのか.そうした選択肢があります.当然急性期から立ち上がるときに両室ペーシングは大きなサポートになります.そこにセーフティネットとしての左心補助人工心臓(left ventricular assist device;LVAD)は本当に必要です.
 心不全治療を行ううえで内科と外科が1人の患者さんを一緒にみて,そのときに一番必要な治療方法を選択することが大切です.
 昔,冠動脈の治療にバイパス手術や,カテーテル治療が出てきたころに,CCUをつくって内科と外科が協力して1人の患者さんをみて,いつになったらどちらで,そのあとどちらというように一緒に診た歴史がありますね.それがもっとフィールドを広く,ハイパワーにしたのが新世代の心不全治療だと思います.
Batista先生とのエピソード
代田 少し話が戻りますが,Batista先生のところに行かれたときのエピソードをお聞かせください.どういうタイミングで行かれて,どのように思われたのでしょうか.
須磨 ローマにいるころに,Batista先生の手術の話はたくさん聞いていましたし,ヨーロッパの学会でお会いして,質問を交わすぐらいのことはしていたので,まったく面識がなかったわけではありません.しかし,現場で本物をみないといけないとずっと思っていました.バチスタ手術を始めたのは1996年12月ですが,翌年7月11日に行きました.私はブラジルにその1日しかいませんでした.
 Batista先生から電話がかかってきて,「『TIME』が“Heroes of Medicine”のテーマで自分の取材に来る.お前は見学に来たいといっていたけれども,そのときに来い.一緒にインタビューを受けよう」といってくれたのです.いつですかと尋ねたら,再来週だというのです.その当時,私も手術の予定がたくさん入っていたのですが,そういってもらったときに行ったほうがいいと思って,大あわてで調整しました.けれども,3日しか休みが取れません.日本から12時間飛んで,乗り換えはロサンゼルスだったと思いますが,そこで乗り継いで12時間飛んで,サンパウロまで25時間かけて行きました.
 サンパウロで1泊して,朝一番の飛行機で2時間ほど飛んで,クリチバというところに行き,そこにある彼の病院に着いたのが昼の12時でした.それからバテスタ手術2例と別の手術1例を一緒にやりました.手術が驚異的に速いのです.その合間にTIMEの記者のインタビューを受け,軽く晩ご飯を食べて,夜8時にはクリチバを出ました(写真7).
 Batista先生と会うたびに,「いまだに記録は破られていない.一番遠いところから来て,一番短い時間滞在した奴」といわれますが,それでずいぶん勉強になりました.どんな外科医で,どんな手術をするのか.この人の手術はファイナルアンサーなのか.帰りの飛行機でいろいろなことを考えました.また25時間かけて帰ってきて,私の人生でもっとも濃厚3日間でしたね.
葉山ハートセンター開設
代田 須磨先生は,ヨーロッパの病院をモデルに,日本で初めて,これからもできるかどうかわからない,葉山ハートセンターを立ち上げられました.そのお考えをお聞かせいただけますか.
須磨 ローマから帰ってきたとき,心臓の専門病院をつくりたいと思いました.なぜかというと,総合病院の一つの科として心臓外科をやっていると,最初のうちはよいけれども,評判が高くなって患者さんが大勢来たときに対処しきれません.患者さんは助けてほしいといってくるけれども,こっちは他の外科の先生と調整しながら手術室を確保しなければなりません.手術室の婦長さんには頭を下げまくり,ICUのベッドを調整してもらいと,1人の患者さんを助けるのに,病院内を何度も頭を下げて回り続けないといけないわけで,それが苦痛になります.患者さんは,待っていられない心臓病ですから,致命的な心筋梗塞を起こす人が必ず出てきます.
心臓外科をやるのであれば,自分たちがやろうと思うときに,いつでも手術ができる病院でないといけません.それはイコール専門病院です.そうした機能をもった病院をつくりたかったというのが一つの理由です.
もう一つは,居心地のよい入院生活を日本人にも味わってもらいたいと思ったことです.ヨーロッパには,入るとホテルに来たようにほっとして,これで助かるという気になる病院,お見舞いに来るのが楽しくなる病院があります.日本では,私の知っている限り,そうしたところがありませんでした.心臓の手術を受けるということは,なかにはそこで亡くなってしまう可能性もあるわけですから,環境の整ったところで手術をしてあげたいということから,葉山ハートセンターを開設しました.
子どもたちにみせる医療現場
代田 葉山ハートセンターでは小学生を招いて,医療現場をみせたり,須磨先生が話をされたりしていますね.そのあたりのアイディアはどういうところから出てきたのでしょうか.
須磨 1996年にローマから帰国してテレビをつけると,子どもが子どもを殺すという残虐な事件が立て続けにありました.子どもがキレるという言葉が頻繁に使われました.私がローマに行く前の日本は,そういうことはあまりなかったので,急に社会が変わってしまったように感じました.学校の先生とご両親のテレビのディベートでは,家庭のしつけが悪い,いや学校の教育が悪いとののしり合っているようで,らちがあきそうもありません.
 私なりに思ったのは,子どもがキレる背景には不安があるのではないか.どういう不安かといえば,立派な大学に行けば誉めてもらえるのはわかっているけれども,それが自分の人生を幸せにしてくれる絶対的な答えではないこともわかっている.自分が社会人になったときに,どういう仕事をすれば,周りから認めてもらえて,親からもよかったねといってもらえて,自分も幸せになれるか,そのイメージが描けないのではないか.
 テレビでスポーツの選手や芸能人をみると格好いいな,おもしろいなと思うけれども,みんながそうなれるわけではありません.もっと一般の職業で,どんなものが自分にとって適しているか,楽しいだろうかと考えても,シミュレーションができないわけです.お父さんは背広を着て出かけていくけれども,会社でどんな仕事をしているかはわからない.帰ってきてもあまり幸せそうではない.そうなると将来がすごく不安になる.子どもに対するメッセージとして,大人が仕事をしている現場をみせるのはとても大事ではないか.そこで,私は医者だから,医療をみせようと.
 もう一つは,よい医者を育てるということを,したいし,しなければいけません.そのときに,医学部に入ったあとにどういう教育をするかということをみんな考えるけれども,勝負はその手前で決まっています.どういう気持ちで医者になろうと思ったかというところで,90%は決まっているのです.多くの医学生たちは高校の点数がよいので,先生から医学部を受けたら通るよといわれて受けてきています.また,親が医者で自分はなりたくないけれども,跡を継げといわれて来ています.医者は生やさしい仕事ではありませんから,壁に当たり悩み,迷ったときに,そんな原点しかもっていなかったらとても耐えて続けていくことはできません.
 もっと手前で医療の現場をみて,何かに感動して,人を幸せにするなかで自分も幸せを感じられることから医者になりましたということが,もっとあったほうがよいのではないか.病気になって入院する,病気の人を見舞いに行くというのではなく,病院をみてやるぞという姿勢で病院に来る子どもたちをつくらないといけません.それで子どもたちに手術を公開してみせました.
代田 須磨先生は心臓外科医の憧れの立場にいらっしゃると思いますが,これからスタートしようとする若い人たちに,いまは決してよい時代ではないかもしれませんが,どういうものを目指していってほしいのか,お話しいただけますか.
須磨 基本は先ほどいった原点だと思います.なぜ医者になりたい,心臓外科医になりたいと思ったのかということです.心臓という命に直結した臓器を治すことによって,人の命を永らえ,家族を喜ばせる,そのことを通じて自分も幸せになりたいという原点があれば,心臓外科という業界が不況であろうが,競争が厳しかろうが,その道を進んでいくしかないわけです.心臓外科医が必要とされない時代が来れば,人類にとっては幸せなのかもしれないけれども,当分来ないと思います.狭き門にはなるけれども,どうしても必要とされます.必要とされる側に回った心臓外科医は充実した忙しい日々を送らざるを得ないわけです.だから,なぜなりたいと思うのか.いったん決めたら,何がなんでもやるのだという気持ちを捨てないでやってほしいと思います.
 外科医というのはチャレンジャーです.教科書に書いてある手術をそのとおりやっているだけでは100点満点はとれません.もちろんそれも必要だけれども,教科書には書かれていない,あるいはこの病気は手術では治せませんといわれている病気に対して,どうしたら治せる手術を編み出せるのか,そうしたクリエイティブな気持ちがすごく大切だと思います.
その意味ではものすごくやりがいのある仕事だと思います.
代田 最後に,須磨先生が今後の目標とされていること,ご自身のことをお話しいただけますか.
須磨 私は今50代後半ですから,これから若い人たちがわくわくできるような道を歩めるように支えていきたい.そのために教えられることはすべて教え たいといつも考えて実践しています.私自身心臓外科医としては心不全の外科治療はまだ道半ばですから,内科の各分野のエキスパート,不整脈,運動療法などの先生たちと協力して,集学的なかたちで心
不全をよりよく治療していけるシステムを確立するために努力しています.まだまだやることはたくさんありますね.
代田 須磨先生のことはテレビや雑誌など多くのメディアが取り上げていますが,今日は,それらよりもっと深いお話を伺うことができました.どうもありがとうございました.
文献
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3)Hirose T,Yaghmai M,Vera CA : Cineangiographic visualization technique of the implanted right gastroepiploic artery of the posterior myocardium.Vasc Surg 1969;3:61-67
4)Suma H,Wanibuchi Y,Furuta S,Takeuchi A : Does use of gastroepiploic artery graft increase surgical risk?J
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5)須磨久喜,磯村 正,堀井泰浩,ほか : 拡張型心筋症に対する左室縮小形成術(Batista手術)の早期成績.Jburnal
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7)Suma H,Isomura T,Horii T,Nomura F : Septal Anterior Ventricular Exclusion Procedure for Idiopathic Dilated
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心臓 第38巻 12号 2006 より