須磨氏は1974年に大阪医科大学を卒業後,虎の門病院にて研修,その後はアメリカ・ユタ大学,三井記念病院.湘南鎌倉病院と一貫して心臓外科領域を歩み,2000年には心臓病専門の葉山ハートセンターを開設,小中学生に手術現場を公開するなどして,医療への関心,将来の医師の芽を育むとともに,若手医師の育成にも力を注いでこられた.そこで,本誌では氏の業績を振り返るとともに,心臓外科に懸ける意気込みをうかがった.

■心臓外科医を志した動機は

―― 先生は一貫して心臓外科畑を歩んでおられますが,そもそも心臓外科医を志された動機は何だったのでしょう.
須磨 私が学生の頃に心臓外科に関連して2つの大きな出来事がありました.1つは南アフリカのケープタウンでクリスチャン・バーナード医師が脳死患者からの心臓移植に成功したことです.これは社会現象として大きなインパクトがあさりました.もう1つは,現在は一般的になっているバイパス手術が,アメリカで成功例が相次いだことです.当時,心臓外科は医学界ではまだマイナーな領域でしたが,この2つの出来事は私たち学生に非常な衝撃を与えると同時に,自分たちが大学を卒業する頃には,心臓の手術は日常的に行われるようになるのではないかという印象を受け,心臓外科を目指したわけです.
―― 先生は特にどの領域を中心に研鑽なされたのでしょう.
須磨 当時の心臓の手術はほとんどが先天性心疾患(奇形)と弁膜疾患で占められていました.しかし,急性心筋梗塞や狭心症,いわゆる急性冠症候群は,死亡率の高さという点で当時も非常に重大な疾患でした.そういう致死的疾患を外科的に救命しうるという意味で,バイバス手術は非常に画期的な手術でした.当時の医学部の講義でも先生方の関心の高さがうかがわれました.ただ,日本ではまだその全容がわかっていませんでしたから,「よし,それならば」という感じで,バイパス手術を研鑽しようと考えました.
―― そこで,虎の門病院で研修後,本場アメリカのユタ大学へ留学と・・・・・
須磨 ええ.虎の門病院では一般外科の研修を受けたのですが,実はそれが後のバイパス手術に役立ちました.

■外科治療か,内科的治療かの判定基準は

―― 急性冠症候群に関しては,現在は内科的なカテーテル治療も発達していますが,内科的治療か,外科的なバイパス手術かという選択の分岐点はどこにあるのでしょう.梗塞の程度でしょうか,病変の数でしょうか.
須磨 現実には1人の患者さんを内科医と外科医が一緒に診察することはほとんどありません.患者さんはまず内科医のもとを訪れ,そこでカテーテル検査を含めた種々の検査を行い,内科医が“手術”と判断した時点でわれわれの出番となるわけです.例えば,学会などでは心臓に限らず,あらゆる分野の疾患について,「内科的治療か外科治療か」などと題して,症例を中心に内科医と外科医のディベートが行われますが,現実の医療現場ではそのようなことはあまりありません.「内科的治療か外科治療か」の判定基準は,国によって,同じ国でも病院によって,同じ病院でも医師によって,また医帥も何人か集まればそれぞれ異なってきます.原則的にはどのような術式を選択するかは外科医の“判断”ですが・・・・・.要は内科医,外科医の“判断”がエビデンスに基づいているかどうかです.しかし,心臓病の治療,特にカテーテル治療に関しては進歩の度合いが著しく早く,新しいテクニックやステントなどのインプラントが次々と開発されるので,エビデンスがついていけない面もあります.ですから,例えば左主幹部の狭窄や3枝病変がある場合には一応バイパス手術の適応となりますが,それも“絶対的か”となれば,必ずしも“そうだ”とはいえない部分もあります.

■胃大網動脈を用いたバイパス手術の発端

―― そういう“判断の難しさ”の中で,先生は5,000例以上もの手術を行っておられます.その中で,先生の心臓外科医としてのその後の契機となった患者さんは・・・・・.
須磨 やはり一番印象に残っているのは第1例目,自分が初めて手術を任された患者さんですね.これは今もずっと心に残っています.もう1つは,私が日本で初めて胃大網動脈を用いてバイバス手術を行ったときの患者さんです.
―― 先生がそれを実施された理由はどこにあったのでしょう.それまで用いられていたグラフトと比較しての利点などは・・・・・.
須磨 バイパス手術が始まって10数年が経過し,私がアメリカに留学していた頃に,アメリカではバイパス手術に用いた血管がその後どうなっているかということに関して大規模スタディが行われ,その結果が相次いで学会で発表されました.その当時はグラフトのほとんどに大伏在静脈が用いられていましたが,10年も経過すると,内皮細胞が剥離し動脈硬化をきたす要因となっていることが判糾しました.一万で,少数派でしたが,グラフトに胸の奥にある内胸動脈を利用していた外科医がいました.彼らの用いた内胸動脈は,大伏在静脈とは異なり,10年以上経過しても損傷がほとんど認められなかったのです.その理由は,動脈は静脈に比べて10倍近くもの圧に耐えられるためで,やはりグラフトには動脈を用いるべきだということになりました.そこで,欠のテーマとして,心臓外科医の間では,グラフトには“どの部位の動脈が最適か”が課題となりました.私は大学卒業後,虎の門病院で研修を受けましたが,当時,虎の門病院には心臓外科がなく,4年間,一般外科を勉強していました.そこで学んだ成果から,胃には多くの血管があることを知っていましたので,その1本をグラフトに利用できないかと考えたわけです.
―― 初めて実施される際には多くの囲難があったのでは・・・・・.
須磨 ええ.通常の血管を用いず,新たな血管を使用するわけですから,ある意味で実験的手術となります.そのため,最適な患者さんが現れるのをずっと待ちました.最初の患者さんは今でも強く印象に残っています.その方は最初の手術で大伏在静脈を用いていたのですが,その血管が詰まってしまい,再手術を行わなければなりませんでした.しかし,最初の手術で大伏在静脈はすべて使い切っていたため,他の血管を用いる必要がありました.そこで,患者さんに詳しく説明し,ご了解を得て,胃大網動脈を用いた最初のバイパス手術となったわけです.私が36歳のときです.胃大網動脈によるバイパス手術を行って,今年でちょうど20年になります.そのためか,今年は胃大網動脈によるバイパス手術に関して,海外からの講演依頼が多いんですよ.
―― 好成績を上げておられる・・・・・.
須磨 ええ.すでに1,500例以上に実施し,心臓外科関連の教科書にも載るような手術となりましたので,適応となる患者さん,適切な術式,そしてどのような状況のときに実施すればいいかについてもエビデンスが確立されてきました.

■バチスタ手術との出会い

―― 先生はバチスタ手術も実施されておりますね.バナスタ手術といえば心筋症で,重症の場合,心臓移植の対象となりますが,その日会いは・・・・・.
須磨 バチスタ手術と出会ったのはイタリアにいた頃です.私は1990年代に胃大網動脈を用いたバイパス手術で世界中の国から声がかかり,20か国近くで約500例の手術をしていましたが,イタリアのローマにあるカソリック大学付属病院――ローマ法王も入院されたことのある2,000床規模の病院――で手術を行った際に,「大学で教えていただきたい」との要望があり,客員教授として2年間滞在しました.その当時,ヨーロッパではバチスタ手術が話題で,学会場は常にその話で持ちきりでした.そして,まさに私が滞在している最中に,ローマの友人がイタリアで最初のバナスタ手術を行ったのです.日本ではまだ脳死が認められず,心臓移植などはできない状況でしたから,私はバチスタ手術の必要性を痛感しました.そこで,ローマの大学の医局員を2週間ブラジルに派遣し,バチスタ博士が行っている手術をビデオに録画させ,国際学会では実際に博士ともお会いして,バチスタ手術に関する情報を入手しました.そして帰国後,ある研究会でバチスタ手術の話をしたところ,友人から「心筋症の患者さんがいるのだが,バチスタ手術はできないか」との相談がありました.拡張型の特発性心筋症で,薬物療法が限界に達したら,生存は諦めざるをえない状態ということです.とはいっても,私自身も手術は未経験ですし,手術自体も歴史が浅いため,取り敢えずは「ご説明を」ということで患者さんにお会いしたところ,「手術を受けたい」との要望がありました.先ほども述べましたが,当時は心臓移植ができない状況でしたから,そこで思い切って手術に踏み切りました.
―― スタッフは・・・・・.
須磨 非常に難しい手術ですから,最良のスタッフが必要なのは当然です.ただ,辛いなことに,1990年代に一緒に世界を回って手術をした海外の仲間に声をかけたところ,イタリア,ニューヨーク,ロサンジェルスから3人のバチスタ手術の経験のある教授達の参加を得て,それでガードを固めることができましたので,不安はありませんでした.

■葉山ハートセンター開設の契機

―― ところで,先生は葉山ハートセンターを開設され,心臓病の専門治療に専念されると同時に,次代を担う子どもたちに手術現場を公開したりして医療への関心を高めておられますが,そもそも葉山ハートセンター開設の直接の契機は何だったのでしょう.
須磨 先ほども述べましたが,1990年代に世界各地で手術をして回り,素晴らしい病院やユニークな病院をいろいろ視察することができました.翻って日本の病院をみますと,サイズ的に大小はあるものの,すべて似通っていて,何ら特色がないんですね.居心地がよくて,中にいると落ち着き,いつかは「治癒する」と感じさせる施設があまりないんです.私が一番強烈な印象を受けたのは,心臓外科医なら誰もが知っていますが,モンテカルロにあるモナコ・ハートセンターです.多くの著名人が手術を受け,アメリカのエグゼクティブも自家用ジェットで乗りつけるような心臓の単科病院で,眼前に海を眺めながら過ごせる風光明媚な地に建っています.私はその病院で胃大網動脈を使ったバイパス手術を供覧し,コンサルタントにしていただきましたが,何とかして日本にもこのような病院を開設したいと思いました.幸運なことに,多くの賛同者・支援者の方々を得ることができましたので,病院建築の際には建築家に実際にモナコ・ハートセンターに行って直接目みていただき,またフランス人建築者ともお会いし,その夢が実現しました.
―― 葉山という地をお選びになったのは,モナコのイメージがあったからでしょうか
須磨 ええ.ずっとモナコのイメージが残っていましたから.これも本当に偶然なのですが,私どもの理想の実現に賛同してくださる方がいて,1,000坪もの土地を譲っていただくことができました.
―― 昔は“地の利”が病院開設の絶対条件でしたが,現在はインターネットが発達していますから,患者さんは自分に必要な情報を検索し,たとえ少々遠くても,自分にとって一番適切と思われる病院を選ぶようになりました.その点では先生の病院も・・・・・.
須磨 はい.全国からこられます.また,メールでの相談も毎日あります.九州や北海道から飛び込みで突然訪ねてこられる方もいます.
―― 先生の病院には婦人科がありますが・・・・・.
須磨 実は近隣の方々が見学にこられて,非常に気に入っていただいたのですが,「心臓病じゃないと診察は受けられないんですか」というご意見がありました.そこで思案した結果,心臓専門病院ですからカテーテル関連設備はあるので,それを活用できる診療ということで,子宮筋腫のカテーテル治療を思いつきました.子宮筋腫は女性の4人に1人にみられる疾患で,アメリカではカテーテルを用いた動脈塞栓術が話題になっています.幸い,その治療法に精通した医師も獲得できましたので,子宮筋腫に特化して婦人科を標傍しました.

■若い心臓外科医の育成に懸ける意気込み

―― 先生はこのたび心臓血管研究所のスーパーバイザーに就任されました.今後はこれまで以上に専門職として若い方々を指導される立場だと思いますが・・・・・.
須磨 そうですね.これまで日本の心臓外科医は個々人の技術の差が大きすぎるといわれてきました.しかし,現在はそのようなことはないと思います.医師個々人が自分のレベルアップのために努力・研鑽を重ねて,すでに40代で優れた技術をお持ちの方もいらっしゃいます.その意味では,日本の医療レベルは高くなっていますし,互いに競争心,それもフェアな競争心を持って医療に取り組んでおられ,周囲からも,また患者さんからも信頼を寄せられていると思います.私自身も多くの国々で優れた外科医に巡り会い,その中で数々の技術を身につけ,それらをこれまで若い医師の方々に伝えてきたつもりですし,今後もそうするつもりでいます.
―― 2004年度から卒後2年間の臨昧研修が必修化され,今年は第1期生がその課程を修了し,それぞれが専門領域に進んでいくと思われますが・・・・・.
須磨 卒後2年間の臨床研修は学生と研修病院のシャッフルですよね.当初は戸惑いもあったと思いますが,実はこのシャッフルは非常に有効だったと思います.学生は自分で病院を選び,選ばれた病院はその期待に応えるために努力します.そしてまた学生は自分で選んだ病院から評価を得ようと努力するため,互いに相乗効果を生んでくると思います.修正部分はまだあるとは思いますが,必ずいい方向に向かっていくでしょうね.
―― 例えば,先生の病院のような専門病院にどっと流れてくるとかは・・・・・.
須磨 いや、当初はやはりジェネラリストとスペシャリストに2極化すると思いますよ.一般の病気を診療し,専門医の診療が必要な場合はきちんと専門医を紹介するという医師と,最先端の専門的治療を行うプロフェリショナルとに.その意味では,きちんと住み分けを行い,教育の仕方を混同しないことです.例えば.車の運転を例にとると,タクシーの運転手とF1のレーサーを同じ教習所で同じ教育をすること自体に無理があります.両者に優劣はありません.タクシードライバーは街の複雑な道路を熟知し,乗客を安全に素早く目的地に送り届けなくてはなりません.これはホームドクターの仕事と似ています.一方レーサーは一刻を争うスピードで難コースを駆け抜ける技術と体力と気力を鍛えぬき,優れたメカニックと協力して最先端のマシーンを使いこなさなければなりません.心臓の手術もこれに似ています.
―― F1レーサーを目指す医師が先生の病院で練習(研修)をしたいという場合は・・・・・.
須磨 もちろん.最大限の練習(研修)環境を拙供したいと思います(笑).

■最近の医療行政に思うこと

―― ところで,最近のニュースでは,厚生労働省と中央社会保険医療協議会は技術別診療報酬を検討しているということですが,その点についてはどうお考えでしょう.
須磨 国の医療政策に対して,私ごとき一介の外科医が口を挟むべきではないと思います.ただ,ひと言いわせていただければ,医療に関しては“平等”と“公正”が混同されていると思います.国民皆保険のおかげで誰もが“平等”に医療を受けられる点はわが国の非常に優れた面ですが,一方,医療を提供する側からいえば,決して“公正”ではありません.つまり,免許を取得したばかりの医師と,経験何十年もの医師が“平等”の診察料であるというのは“公正”ではありません.これは頭の中では誰もが理解しているはずです.しかし,それが現実のものとなると,納得できない部分があるんですね.技量の優劣を誰が判定するのか,判定基準は教授や部長という肩書きか,経験年数か,症例数か,治癒率か,その基準設定が非常に困難です.これが自由診療あるいは混合診療であれば,ある程度可能でしょうが,保険診療となると・・・・・.
―― 医療の世界にも競争原理を導入することによって,医師の切磋琢磨を促すということが背景のようですが・・・・・.でないと,まったく努力しない医師も出てくるという・・・・・.
須磨 それはあるかも知れませんね.例えば,外科の場合,リスクは行う手術によってかなり違います.線香花火を背負って手術するか,ダイナマイトを背負って手術するかで,火がついた際,すなわち何か異変が起こった際のリスクはまったく異なります.できれば,ダイナマイトを背負っての手術はしたくない.それなのに,経済面を含めた環境が“平等”というのであれば,やはりリスクの少ない環境にいたいというのは当然でしょう.特に心臓外科となると,術中に患者さんが亡くなることもありえます.しかし.損得勘定だけで専門を選んだら,心臓外科医などは医療現場から消滅するかもしれません.でも,医療は必ずしも損得勘定だけではありません.ダイナマイトを背負いながらの苦しい、手術であっても,救命しえたときの喜びを求めて心臓外科を目指す医師もいるはずです.今後もそういう医師がどんどん出てくることを期待したいと思います.
―― 最後に,診療に際して心を配っておられる点, 健康法などについてお聞かせください.
須磨 これは海外で培われたことですが,常に心を解放しておくことと同時に,患者さんと接する職業ですので,不快感を与えない,ある種のエネルギ,パワーが医師の資質として必要だと思っています.端的にいえば,きちんと患者さんの目をみて話し,先入観を持たないことです.それがないと,患者さんも心を開いてくれませんし,安心感を与えることもできません.パワーの身につけ方は人それぞれ違うでしょうが,私自身は自分にとって居心地のよい環境を整備することと,適度な運動によってストレスを発散することを心がけています.患者さんを前にして,自分がうつむいていたのでは話になりません.

インタビュー後記

 若々しく“すらり”とした長身,静かな語り口,落ち着いた物腰,そして周囲を包み込む安心感.ときとして外科医にありがちな威圧感はまったくない.これまでに多くの患者さんが氏の診察を受けた際に同様の印象を持たれたことであろう.そして,氏の言葉に安心感を覚え,心から信頼して手術に身を任せたであろう.これが氏のいうパワーであろうか.一万,心臓手術を語るときの氏の口は冷静な中にも熱さを感じる.氏の薫陶を受け,氏のもとを巣立たれる若い心臓外科医に,未来の医療を託したくなる気がする.

Animus Autumn 2006 No.44 より