心臓移植をしなくても重症の心臓患者を救う可能性を秘めた新しい治療法が海外で次々と考案されている。どれもまだ治療法として確立していないが、心臓移植が再開されない日本の患者には一筋の光明。臨床応用の試みも国内で始まった。
96年春、イタリア・ナポリ大学の研究チームの報告が国際的な医学専門誌に紹介された。心臓移植が必要な拡張型心筋症患者7人に、下垂体性小人症の治療薬である遺伝子組み換え型成長ホルモンを与えたところ、心臓からの血液拍出量が増加したというのだ。
拡張型心筋症は心室から血液を送りだすポンプ機能が低下する原因不明の病気。従来は病状が悪化すると心臓移植でしか助からないといわれてきた。
欧米では心臓移植を待つ多くの患者が拡張型心筋症だ。成長ホルモンは、薄くなった心筋を大きくし心臓の壁を厚くすることで、心臓の収縮力を高める効果があるという。
報告を受け、国立循環器病センター(大阪府吹田市)の宮武邦夫・心臓血管内科部長らのグループは、拡張型心筋症患者に成長ホルモンを投与する準備を開始した。
外科治療でも興味深い手術法が考案されている。その一つが、弱った心臓を背筋で巻いて心臓の収縮運動を助けるものだ。
まず、わきの下から背中にかけたところにある背筋を心臓に巻き付ける。次に特殊なペースメーカーで、心臓とリズムを合わせ背筋を運動させる。海外ですでに1,000例の臨床応用がある。
国内では岡山大学医学部の佐野俊二教授ら数施設のグループが治療の準備を進める。「病状が悪化して心臓移植が必要になりそうな患者に向く治療」と佐野教授は説明する。
ブラジルで94年に始まった心室縮小手術も、最近注目を集めている。考案者の名をとってバチスタ手術といわれるこの手術は、大きくなった左心室を外科的に小さくしてしまう治療法だ。
大きくなった心臓を小さくすれば、心臓が血液を送りだすのに必要なエネルギーは少なくて済み、心臓の負担は減る。世界では400人以上の患者に手術が施されている。
96年12月、湘南鎌倉総合病院(鎌倉市)は国内でバチスタ手術を初めて実施した。残念ながら手術後12日目に患者は肺炎で死亡したが、同病院の須磨久善副院長は「(治療で)心臓の機能は改善した。心臓移植を待ちきれない患者や、心臓移植が出来ない高齢者の治療に役立つかも知れない」と語る。
ただ、新治療法はまだ実験医療段階と見ておくべきだ。医療としては確立していない。
成長ホルモン治療はホルモン自体が肥満や、関節痛などを併発する懸念がある。背筋を巻き付ける手術は、5〜10年すると、背筋が線維化し収縮機能が低下する。岡山大の佐野教授は「手術1回だけで、問題なく一生を過ごせるわけではない。いかに線維化を防ぐか研究が必要」という。
心室縮小手術も、どんな患者に効果的なのか、どのような治療効果が期待できるのか、不明な要素が大きい。
国立循環器病センターの川口章・移植免疫研究室長は、ブラジルの医師などと心室縮小手術の分析を始めた。「心室縮小手術の実施には、手術前の患者の病状と術後の長期経過のきちんとした検証が必要」と川口室長は見ている。分析結果は今年の日米の学会で発表する予定で、早くも世界の専門家の注目を集めている。
世界初の心臓移植は1967年に南アフリカ共和国で実施された。交通事故で死亡した女性の心臓を男性患者に移植、患者は18日間生存した。以来、研究が積み重ねられ、優れた免疫抑制剤や臓器保存液などの開発、手術法の改善により、現在では移植を受けた患者の1年生存率は83%、同2年生存率は78%に達する。
心臓移植実施数は世界で年間約4,000件。過半数が米国で行われている。アジアでも台湾や韓国、タイ、香港などでそれぞれ数件から20件程度実施されている。
ただ、心臓移植は課題も多い。各国とも提供臓器が少なく、移植を望む患者のすべてが手術を受けられるわけではない。手術後も感染症、免疫抑制剤による副作用などが待ち受ける。
また、欧米先進国以外では、移植後の患者の管理が徹底できないなどの理由で、心臓移植の出来ない途上国も少なくないという。
その点で、移植をしなくてもすむ新しい治療法は、患者に希望を与える。心臓移植が再開されないままの日本ではなおさらだ。新治療法の一つ、心室縮小手術について国立循環器病センターの川口章・移植免疫研究室長は「移植が盛んな欧米諸国でも、患者救済に影響を与える可能性がある」と指摘する。新たな治療法の可能性を積極的に検討する意味はありそうだ。
(日本経済新聞1997.1.12より)