| すま・ひさよし一九五○年神戸市生まれ。中学二年で「手術着の自分を夢に見て」外科医を志す。大阪医大卒。八六年、胃動脈を使うバイパス手術で国際的評価。ロ−マ・カトリック大客員教授を経て湘南鎌倉総合病院院長。「患者にも医師にも快適な、だれでも受けられる」心臓病最先端治療センターを来春、神奈川県葉山町に開設。週末は妻、愛犬と海辺で過ごす。 |
■二月。厳寒。命あるものには一番厳しい季節です。最先端の心臓外科医として、命と向き合って来られ、二年前には脚光を浴びているバチスタ手術(心臓縮小手術)を日本で初めて実施された。今、命というものをどんな風に考えてますか。
心臓移植でしか助けられないとされ、ている患者さんは世界中にたくさんいるけれど、移植がみんなに行き届くかというと、決してそうではない。移植手術は過去十年間、横ばいなんです。第一に、ドナーの数に限界がある。世界の年間三千数百例の手術のうち二千数百例はアメリカです。そのアメリカですら、移植を必要としている患者さんは年間推定五万人もいる。それ以外の国は推して知るべしですね。そういう状況の中で、ブラジルのバチスタって心臓外科医が、移植でなくとも助けられるように何とかしなくちやいけないと、新しい手術を考えた。
■具体的にはどんな手術ですか。
末期的な状況の心臓ってみんな大きくなっちゃうんですね。大きくなること自体、心臓には非常な負担で、破たんをきたす。内科的にはギブアップの段階で、次は心臓移植、となる。バチスタが考えたのは、大きくなったことが窮屈な理由であれば、縮めてやれはいいって、これまでの医学からすれば逆転の発想。で、心臓の一部を切り取って縮めた。そうしたら、もうだめだと言われていた患者が劇的によくなるということがわかってきた。ただ、この手術は今、少し見直されている。やってみたけど死んだというケースが起こった。ところが、日本で僕らがやっていることが逆に注目されていて、つまり成績がすごくいい。心臓をダウンサイズする時に、バチスタは機械的に滅らしていった。僕は、悪いと言われている心臓も一様に悪いわけではない、まだ元気さが残ってる筋肉があるに違いないと。それを超音波で手術中に確認して、いい所を残してサイズを縮めれば、絶対に良くなるはずだと考えた。
■つまりバチスタ医師の発想の逆転を先生がグレードアップした。
ええ。去年春から新方式でやりだして、十八人手術して一人も亡くなってない。四月にアメリカの胸部外科学会で報告します。これまで心臓移植でしか助けようがないとされてきた約百人の患者さんに対し、バチスタ手術や、モナコのドール医師が考えた別の縮小手術などを実施して、約八割がここまでよくなっていると。
■バチスタ手術もドール手術も日本で最初。三十代には胃の動脈を便う心臓のバイパス手術を世界で初めてなさった。だれもやってないことをなんでするんですか。
ブレークスルーですよね、壁を破る。医療って二つの大きな目的を持ってる。一つは安全でだれにでもできる治療を広めること。もう一つは、医療は進歩していかないといけない。僕は、目の前で死にかかっていて治療法がないという人をいっぱい診てきた。だけどその人にもう治療法がないとはやっぱり言えない。つらいけど、もう一日頑張って生きてごらん、もう一週間頑張ってみようよって。なんでそう言えるかっていうとね、その間にきっとね、治す方法が見つかるよと。僕も見つけられるように僕なりに頑張ってるよという、自分の中にそういうものがあるから言えるんですよね。三十代で新しいバイパス手術をやった時、胃の血管を心臓に使うなんて神の意思に反するって、教授たちにえらいしかられた。でもその人たちは足の静脈を使ってたわけですよ。静脈と動脈って、内圧が十倍ぐらい違う静脈を心臓の冠動脈につなぐのは、そよ風に揺れてたコスモスの花びらを台風の中に置くみたいなことで、五年、十年たつと傷んでもろもろになる。動脈を使った方がいいわけで、もう千例以上やりました。
■一番核にあるのは、自分が新しいことをやったら、今まで亡くなってた人たちが助けられると。
そうですよ。もうそれだけ。患者さんを見れはいいわけですね。これをやったら患者さんが喜んでくれるだろうか。家族はうれしいと言ってくれるだろうか。そしたら、自分に勝算があって、気持ちがふわ〜っと高まってきた時に、ぽんと放出すれはいいだけのことだから。
■それは心臓外科の特殊性みたいなことと関係ありますか。
心臓って、命そのものですよね。ものすごく関係ある。患者さんの命こそが心臓外科医の「命」なんです。芸術家は何とかが命とか言いますけど、僕らは「命が命」なんですよ。
■心臓が止まれは、人間も生き物も要するに死んじやうわけですね。
そうです。絶対にね。心臓外科って五千年の外科医療の中でも一番遅く、一九五○年ごろ花開き、急激に成熟した医学なんですね。それまでは、心臓を止められなかった。切ったら出血死してしまう。それをギボンが人工心肺装置を開発して、心臓は止まったけれど生体は死なないという環境が出来た。だけど心臓が止まってるってことは魚が陸に揚げられたみたいなもんで、時間との闘いが顕著に出る。だからうまくいかなかった場合に、つらいですね。けれども、ここでやめたら、あの世でどう申し開きしたらいいかと思うから、一生の仕事と思ってやり続ける。つらさと同居しながら行くしかしょうがないんです。
■心臓外科医って、自問自答が深い仕事かもしれないですね。
ええ。で、僕は三千人近い患者さん診ているんですけど、一人一人みんな違う。だから、それぞれに対して喜んでもらえることをしないといけない。
■先生は喜んでほしいんですか。
喜んでほしいんです(笑い)。いや、僕は何をやってるかというとね、人を喜ばしたいだけなんですよ。僕はそれが人間の本質だと思いますよ。社会って何で成り立っていもかっていうと、みんながだれかを喜ばしたいと思うから、人が集まってくるんであって。僕が人を喜ばす手だては外科医しかないと子どものころに思ったから、外科医になった。医者になって発見したことは、病気っていうのは命を見つけるチャンスだと思うんですね。命って実は一番本質的なことで、一番かけがえのないことだけれども、意外と日常生活の中では考えない。だけど病気になっただけで、ふっと扉が開いて命を考える部屋に入っていける。見てると、入院、手術、回復という過程でみんな何か取り戻してます、命、人生家族、そういったものを。
■先生が思ってる命って何ですか?
命って何ですかねえ、本当に。今の僕の年では答えられないですね。命は、僕はみんなつながっていると思いますよ。そんなに私だはのものではないんですよ。だって僕は、死にかかっている患者さんの命を良くするでしょ。すると患者さんの命が僕を元気にしてくれる。で、僕の家族が死ぬでしょ。そしたら僕の命が弱くなる。僕はみんなつながってると思う。
■命はつながってる。それが三千例手術してきた心臓外科医の考え。
そうです。来年、心臓病の専門病院を開くんですけど、小学生の病院見学をやりたい。医者ってこうだ、看護婦さんてこうだと、子供の頃から本当にいいものを見せる。で、夢が生まれてね。わくわくする夢を与えるのが教育の原点だと思うから。二十世紀は自分のために何かをする時代だったけど、僕は二十一世紀は、人のために何かをして人が喜んだことがうれしいという時代になると思う。人類が生き延びるには、そういうメンタリティーしか次はない。
■人間はきっとそっちに触手をのばして生き延びていくだろうと。
ええ。絶対そう思います。大事なことで僕は迷ったことないし、大丈夫、当たってます(笑)。
こんな体験ができるとは思わなかった。手術室で初めて肉眼で見た心臓は、命そのものだった。それ自体が独立した生き物のように、脈動する。メスを入れるときれいな血が噴き出た。涙が出そうなほど感動した。モニター画面で見るのとはまるで違う。、けなげで愛おしい。「そうでしょう、愛おしい。その言葉が一番ぴったりだな。心臓を見てるといつも愛しくなる。どんな気むずかしい患者さんのでもね(笑い)」。手術後、手術中とは別人のような人なつこい目で、大きな手の心臓外科医は言う。この日も私たちのほかに二人の専門医がドール手術を見学した。九○年代になって、世界のトップの心臓外科医たちと学会やシンポジウムでライブ手術を手がけてきた。数百人の専門家を前に失敗すればキャリアを失うフレッシャーの中で、「目の前の命を助けることだけ考える。新しい手術を伝えるにはやって見せるのが一番確か。で、別の患者さんが助かる」。病院には全国からの重症の患者さんのほかに専門家の見学が絶えない。「大変だけど、すごくシンブルなのね。患者さんの命を助けると喜んでくれる。その喜びが僕の命元気にしてくれる」。そのための徹底した技術と情報の公開、伝達。二年前からは「老後の楽しみの準備」にインターネットで心臓病相談も始めた。命はつながっていると言う人は、命をつなぐ人、なのだ。
佐田智子(朝日新聞編集委員) |