心臓外科医須磨久善氏インタビュー「いのちのコミュニケーション」


インタビュアー: 岡田真美子(兵庫県立大学、宗教学)
千代章一郎(広島大学、建築学)
浜町久美子(東京工業大学、助産師)
百武ひろ子(東京工業大学、プロセスデザイナー)


須磨久善氏

「触った瞬間に、自分の頭の中でイメージしている心臓があるんです。」

 対人関係に留まらず、「コミュニケーション」はとても人間的な営みである。生きているものすべての営みといってもよい。しかし今日の社会において、「コミュニケーション」は選択的かつ方法的になりつつある。つまり、都合のよい対人と場面が選択され、コミュニケーションをとらざるを得ない場面が意図的に削除され、自らのボキャブラリーだけで言葉のゲームが展開される。ゲームに熟達すればするほど、それは自らを閉ざしていくことに繋がっていく。                            心臓外科医須磨久善氏は、長年「いのち」の根源である心臓との対話を重ね、革新的な医療を実践し続ける世界的名医である。また心臓病治療の研究・実践の傍ら、須磨氏は子どもの手術見学会にも精力的である。日本感性工学会哲学部会では、須磨氏が設立した葉山八一トセンターでの子ども見学会に参加してインタビュー行った。機械として極めて正確に鼓動する心臓への眼差しとそこに宿る生命への感性、子ども、空間、患者、医療、自己、心臓などをキーワードに須磨氏の実践的「コミュニケーション」の諸相を明らかにしたい。                                 _                                                    責任編集:千代章一郎                                                          

【子どもといのち】

千代:こうやって子どもさんの見学会をされている一番のポイントは。

 ローマから帰ってきたのは1996年、その頃、子どもの事件があったでしょ。2年間ローマにいたんですが、行く前にはそんなことはあまり起こっていなかったので、帰ってきてびっくりしたんです。それもあの事件だけではなくていくつかずっと子どもが子どもを殺したとか。切れる子どもが多くなって、テレビをつけると親と教師が言い合いをしているんです。しつけが悪いとか教育が悪いとか。これは、絶対そういう問題ではない。子どもがパニック状態になる一つの大きな理由は、大人になったときのいいイメージが描けないのではないか。

僕らだっていい手術をするイメージが描けないまま難しい手術に入っていったら、もうそこで負けです。                 信じられるものが無いわけです。だからいい大学に入ると言うイメージを持ってもそこを卒業しても絶対に幸せになれるというほど話は簡単ではない、ということを子どもたちはわかっているんです。だからいい社会人、かっこいい社会人ってどうなんだろうか、と思ってみても、とりえずスポーツと芸能ではいても、現実の世界は意外とないわけです。サンプルが。お父さんが背広着て会社へ行くけれど何をしているかわからないし、帰ってきても幸せそうではないとか、お母さんとけんかしている。ああはなりたくないというサンプルはあるかもしれない。でもああなりたいというのが意外と無いんです。これは精神的にプレッシャーになります。

 だから大人はもっと仕事の現場を子どもたちに見せたらいいのではないか、それが大人からの子どもたちへのメッセージとして一番わかりやすい。現場で本物を見せようと。そして心臓病院だし手術も見せようと決めたわけです。

子供見学会での須磨氏

「手術とか外科とかいうのは5000年ぐらいの歴史があります。けれども、5000年の歴史がある手術の中でも心臓の手術というのが、一番最近やっとできるようになりました。どうしてかというと、動いている心臓を止めるとそれで死んでしまいます。動いているままで、ばっさり切ると血が噴き出してしまって、手が出せなかったんです。それが1950年ごろに開発された人工心肺という装置のおかげで、心臓は止まっても体は生きているという特殊な環境ができました。そのおかげで手術がどんどんできるようになりました。たった50年の間に心臓の手術が生まれて、育って、ここまできました。」

千代:子どもたちとの対話の中でこ自身が何か変わったなと思うことはありますか。

 変わりましたよ。子どもに対する認識が相当ハッキリしてきました。今の子どもたちはおかしいとか、感性に乏しいとか、全然そんなことはない。全然安心というか楽しみだなと確信しています。理解できてきました。

 僕が医者になろうと決めたのは中学2年生の頃でしたが、小学校の高学年から中学校というのはそういう意昧ですごく大事な時期だと思うんです。そういう時期にいろんな本物を見る、接する、聞くということがどれだけ大事か、自分自身感じています。

岡田:見学会に応募してくるのはやはりある程度、生命に興味のある子どもたちですね。 

 無理やり連れてこられた子というのは、中にはいるけど。医者の子どもで無理やり来さされたというのがいて、だから、朝来たときに顔を合わすと、えらいふてくされているという感じでね。「どうしたの?」「いや、もう来たくなかったんだ」と言うわけね。でも、こうして終わって、この感想文を書いているときに、「どうだった?」と言ったら、もう目が輝いていて、「お父さんから医者になれって言われて。絶対嫌だと思っていたけど、うちが医者じゃなくてもなりたくなったよ」と言っていました。

岡田:でも、そう思って医者になるのと、言われて仕方なくなったのとでは、違いますよね。

 この子自身にとってもね。患者さんのために、本当にいいと思います。でもどうして女の子がいっぱい見学にくるのかな。結構ね、女の子が多いですよ。

岡田:命の現場に近いのでしょうか、女性の方が。

 そうかもしれません。

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【空間とコミュニケーション】

千代:窓が非常に大きくて、とても気持ちがいい。この病院をつくられたときのお考えをお聞かせください。

 とにかく外の景色がよく見えて、閉鎖空問がないようにというのをコンセプトにしました。幸い窓のところには海と空しかないので、誰かに覗かれるということはないですから。

千代:医師と患者さんのコミュニケーションにおいても当然よりいいものになるだろうし、患者さん自身が平穏にいられるところがよいのでしょうか。

 まず働いている職員が、なんとなくリラックスできる、そういうゆったりとした気分で仕事をすることがすごく大事で、そこからいいコミュニケーションが生まれる。すごい閉鎖空間で、変な臭いがしていて、ぴりぴりした雰囲気の中で働いていていると、なかなか優しく患者さんと触れ合うことができなくなる。簡単な話、人を幸せにしようと思えば、先ず自分が幸せにならないと絶対にできないわけです。自分は不幸なのに幸せにしようなんて、一生懸命がんばってみても絶対続かないし、働いている職員が居心地がいいと感じることによって、患者さんと一番いいコミュニケーションが出来ると思います。

海に面した葉山八一トセンター外観
葉山ハートセンター正面は非常に大きな開口を持ち、病室は全て海に向かって開かれている。

 病院環境とか、病院建築というのはこれから大事になると思います。今まではその病院の評価というのは医者の技術と医療機器のどれぐらい高度なものを持っているかということ、その二つで評価されることが多かったですが、それと同じかあるいはそれ以上に、居心地のいい空間をつくっている病院環境かがすごく大事になってくると思います。この病院をつくったときに目指したことは、一つに居心地のいい病院というのはこういうものだよと、形にしたかった。あまりにも日本の病院は、一歩踏み込むと緊張して、居心地が悪くて早く帰りたい、心臓でいうと血圧が上がって心拍は速くなる。治しに来た場所なのに、入ったとたんに悪くなる。そういうことが多いわけです。ヨーロッパだとそうではない。日本的なほっとできて居心地がいいという病院のイメージが僕の頭の中にはあったのですが、それを口に出してもわからない。だからつくりました。

 こういう病院がどこにでもある、スタンダードだということに早くなってほい。一つのモデルハウスみたいになったらいいなと思ってつくりました。それは成功したと思います。

千代:本当の意味で、空間と人とのコミュニケーションがそこで成り立っているわけですね。でも大方の人はそんな意識がない。例えばこういう病院づくりでは、まず患者さんありきで、患者さんにとって便利がいい、機能的だ、リラックスできる。その前に、本当はそういう相手をする我々側というか医療者の側がまず気持ちよくなければならないということは、ほとんど言われていないですよね、建築家の専門家からでさえ。

 こういう病院がどんどん増えると思いますけどね。しかし、今までの日本の医療制度というのはそういう発想がなかった。病院の建築をしていた人たちというのも、こういう言舌をすると「いや、おれたちはつくりたいんだけど、注文する側がそんなことを頼まないから」と言うけれども、実はそうではなくて、やはりその人たちには、そこまでの発想がないんだと思いますよ。だから、いっぱいお金をかけて、大理石を使って、空間は広いけれども、結局基本は一緒じゃないですか。同じような感じで、ちょっと高級感があるという。どこの病院でも全部同じ。

千代:そうなんです。だから、ここの病院を歩かせてもらってはじめて違いを感じました。普通の病院というのはプロトタイプがあって、いくら化粧してみても、中身は同じでしょう。

 東京は上等な病院がたくさんできていますけど、もう行ってみると基本は一緒。だから、やはり病院建築をする人が、もっともっと挑戦していかないと。

千代:やはり建築も人の命を預かっている職業。

 だから、建築というのはすごい仕事です。ローマに住んでいたときよく行ったのがパンテオンです。本当にシンプルな構造物なんだけれども、あれを造ったのは人間なんですよね。でも、いったん完成してしまうと、もうその建物が人を支配しているんです。訪れる人たちが見上げて「すごい、すごい、すごい」と言い、そこに居ると何か力を感じる。そして歴史の中でずっといろんな人間を見据えてきているわけですよね。完全にもうあれは建造物が人間を支配している。人間の心の中でじっとしているわけですよ。だから、こういうものをつくったのは人間、考えたのは人間。だけどいったん出来上がってしまうと、そしてそこを正しく使い込んでいくと、今度は寝食した人たちが、ここで働くんだったら、こういうふうな言動をしないといけないとか、これはしてはいけないとかというふうに向き合う際も変わってくる。建物が人を教育しているわけです。本来の建築というのはそういうもので、出来上がったときが最高で、そこから朽ちていくような建築というのはもう駄目。そこからどんどん良くなり、しかも人に影響を与えるような建築というのが、本当の建築だと思います。

パンテオン内観 

古代ローマ皇帝ハドリアヌスによって再建されたパンテオンは集中形式の閉鎖空間である。対照的な二つの空間に須磨氏は「建築」を見る。

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【患者とのコミュニケーション】

百武:私は患者さんの立場でしか考えられないんですけれど、患者として医者と向き合ったときに、その技術ももちろんそうですが、医者の個性というか、人間性というか、そこに何か信頼のきっかけをつかみたいと思うんです。

 とにかく医者の技術なんてものは患者さんは分かっているようで全然分かっていないです。聞いた話で、ただすがっているだけ。だから、口では「先生は上手と聞いているし、もうお任せします」と言っているけど、心の奥底では、こいつは本当はどんなやつなんだ、と。やはり非常に本能的な部分で、生き物としてとらえるわけですよ。敵か味方か、頼りになるか、ならないかというね。だから、そこのところでまず触れ合わない限りは、信頼関係なんて絶対できないと思う。

百武:ある意味で、すこく完壁な医者だと人間味が感じられなくて、どうやってこの信頼のきっかけを持てるかなと思ってしまうんですけれども。

 もちろん、人問味のない人なんて逆に言えばいないと思うけれども、それをいかに分かりやすく伝えられるかですね。伝える技術の間題なんですよ。冷たいというか、取っ付きにくい人というのは、性格が冷酷なんじゃなくて、自分を伝えることが、表現力が下手なんです。それだけのことです。

千代:本当はそのコミュニケーションというのは、単純に空間的な話だけではないという気がします。だから、手術の前、それから手術、それから手術の後、全部一連のプロセスの中で、コミュニケーションがそれぞれ何かループのように機能していくんだろうし、どこか断片だけを取ってみてコミュニケーションの秘訣と言ってみても、あまり意味がないのではないでしょうか。

 僕らが医者になりたてのころでも、立派な会社の社長さんとか、すごいお年を召した上品な奥さんなんかと話していると、毎日教えられましたからね。そういう関係も十分あるわけだし。そういうのをあえて、ばっさりと一つの切り口で、なぜこうならないんだ、みたいなことを言ったって、どうにもなりませんよ。

中庭に面する廊下とテラス

各階脇には外部に通じるラウンジがあり、中庭に面する廊下にも居場所が設けられている。これらの空間は、外部環境との接触によって患者の心を和らげるばかりか、診察室以外での医師との対話を誘発している。

百武:傷つけているんだということを意識されている。

 僕は外科医になったときから思っていましたけどね。こんな職業が許されているものだなと。すごく不思議に思いました。人類の歴史の中で、治療と称して人の体をばっさり切る職業が一時はあったけども滅びたのなら分かるけどね。それが永延と続いているわけだから、やはりすごい。それだけ信頼関係とか責任というものを意識する人でないと、外科医をやってはいけないなと思いました。

浜町:そうですね。どうしても手術室の中では、患者さんはされる側なんですからね。

 対等になれるわけないんです。

岡田:平面的にみんなの人間関係を並列にしてとか、特に医療現場の人は強調しますよね。みんなが対等の関係と言うんです。対等って本当にあり得るのですか。

 全然。

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【医療チームとのコミュニケーション】

浜町:患者さんではなく、同じ医療チームの中で特に気をつけておられることとか、失敗したことはありますか。

 やはり自分の思っていることを分かりやすく伝える、ということですね。黙っておれについてこい的なものでは絶対駄目だから。理解させないといけないから、いかに分かりやすく伝えるかということは、すごく考えていますね。

岡田:分かりやすく伝えるためには、どうしたらいいのでしょう。例えば、実際手術をやろうと決意されたときに、スタッフの皆さんに説明されている場面では何をお伝えになるんですか。何を皆さんは受け入れるわけなんですか。

 まず、?どういう手術かということと、?なぜそれは必要なのかということと、?どういうリスクを伴うかということ。それは基本的な惜報ですよね。
今度は、?手術に携わる個人個人に、あなたは何をやらないといけない、何をやってはいけないかということを伝えるということ。そこから最後は、?もう心配しないでいいから、責任は全部僕がとるから、リラックスしてやってちょうだい、ということです。

岡田:何にでも使えそうですね。一人ずつの役割まで話すということが大事なんですね。 

 そこのところまではっきりと伝えないと、うっかり金縛りに遭ってしまうので、みんなが。がんばろうと思っても何をやっていいかよく分からないし。思いつきでやって、とんでもないことになったら怖いというのもあるし。だから、そのためにはリードしていく側が、その辺まではっきりと明確に自分の中で分かっていないと駄目なんですよ。多くの矢敗する事例というのは、リーダーが頭の中で自分のやろうとしていることとか、自分の役割、その周りのチーム、それぞれの役割というのをはっきりと理解していない。ただ、おれは一生懸命やるぞ。これはすごいことなんだぞ。みんながんばってついてこい的なイメージだけでボーンと行くから。そういうのは絶対トラブルが起きますね。

岡田:そういうことはいつもお一人で全部考えられますか。それとも、どなたか同じような立場の先生とお話しになったりしますか。

 同じような立場というのはいないです。そういうのはいないと思いますよ。ありきたりのことでしたら、他の所でもやっていたり、別の人もやっていたりしますので、お互いの経験を持ちよって、こんなのどうする、あんなことがあった、こんなことがあったという雑談的な話はあるけれども。誰もやったことがないこととか、すごく飛びっ切り難しい手術とかというのを自分が引き受けてやるときに、あまり相談して決めるというものではないからね。もちろんその手前で情報としては集めるけれども、その情報量が少ないですから。

千代:他の医療機関に行って、新しいメンバーと一緒に手術をされるときに、どういうふうにコミュニケーションをはかるのですか。

 もう自分を信じるしかない。それで、特に病院で手術をするときも、できるだけ人の手を借りずに手術が、場が展開していってできるように。だから、手伝ってもらう場面というのを極力少なくして、しかもその手伝い方が、特殊な技能とか、あるいは気の利く人と利かない人によって差が出るとか、そういうことのないような手伝い方というものをずっと編み出して、それで20カ国ぐらい世界を回って、ずいぶんたくさんの病院で初めて出会った人相手に手術をするというようなことを、もう15年ぐらいやってきました。だからそういう点では、今は特別なコミュニケーションはないです。あなたはいつもどおりやっているようにやってくれたらいいけれども、余計な手出しはしないでね、と。

岡田:個人差の出ない手伝い方を編み出してきたとおっしやいましたけど、誰でも同じマニュアルで仕事ができる、いわゆる「マクドナルド化」をはかられるのでしょうか。

そういうマクドナルド化ではないです。全然違いますね。何か説明しづらいですけど。たとえば手伝ってもらわないと、縫う場所が目の前にパッと見えない。こっちを引っ張って、こっちの人がこういうふうにして、それで見えるようになって、やっとうまく手術できるようになる。これは手伝う人の上手下手で決まるんです。要は、どうすればいいかということを日々考えやっていくと、自分ですべての場面をつくっていけるわけです。ところが、多くの人はそんなことを何も考えずに、「おまえはここを持て、ばかやろう。どうしてこうしないんだ」と怒鳴り散らしながらやる手術に慣れてしまうから、他に行ったらできないわけです。

 だから、一言で言えば、物事をシンプルにするということです。シンプルにするということは、要するに、本質を見極めて余計なものをそぎ落とすという操作で、それは出来上がったものを見ればえらく簡単で分かりやすいんだけど、そこへ行くまでの操作というのが、実は相当大変でね。本当にそのすべてのことが分かっていないと、何をそぎ落としていいか、まず分からない。

千代:それはロジックのようであり、そうじゃないようなところもあって、やはりピンと感じるような事柄ですか。

 自分で分析したことがないから分からないですけどね。

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【わたしとのコミュニケーション】

百武:心臓外科の医者にこれから一番求められる資質というのはどういうものなのでしょう。

 心臓外科医全体について言えば、一つは基本は責任感です。あらゆる職業の中で人の体に傷をつけて、お金もらって、ありがとうっていってもらえる仕事って外科医しかないんです。だからそれを当たり前と思ったら大間違いで、やはり特別なことが許されているんだという気持ちがないとだめで、傷をつけてもなおかつその手術をする前よりもよくするということに責任を持たないとだめですね。

 外科医だから切るのは当たり前で、手術だからたまには矢敗もあるよという感覚でされるといろんな事件、事故が起こるわけです。これは技術以前に気持ちの間題です。次に、判断力、ジャッジメントという能力がすごく要求されます。短い時間、手術が始まってしまって、完全に思い通りにいく場合は1000回に1回ぐらいです。999回は小さなことでもあっと思ったり、どうしようと思ったり、想定外の事が必ずおこります。そのときに、ではどうしようと、まずたくさんオプションを持っていないといけませんが、そのオプションの中でどれを選択するかという判断。内科の先生のように、「これはわかんない、明日考えてきます」で今日はこれまで、と帰っていく。しかし外科医にはそれができない。そこの資質が要求されるので、これはなかなか教育はむずかしい。

 一生懸命がんばればなれますよ、というものではありません。みんな手先の器用さに目を向けるけれど、別にMr.マリックのようなマジックをするわけではなく、普通のことをきちんとやっているんだけど、人の命を預かっている、早くやらなければいけない、これはもう大丈夫かなという不安が突き上げてくる状況で、さらっと普段どおりのことができるかどうかが難しい。コントロールというか、そういうことがすごく大事です。

浜町:メンタルのコントロールをどういうふうにされていますか。何かあるのでしようか、気をつけていらっしやるようなことは。

 どこかのお寺に行くとか、森にこもって修行する、そういうトレーニングはしてないけれども、日々の生活の中で、やはり自分の精神状態をできるだけアップダウンさせないようにする。要するに、感情を殺すわけではなくて、感情は出すんだけれども、動揺させない。

岡田:初期仏教で一番大事なものはそれですよ。すごく喜び過ぎない、すこく悲しみ過ぎない(苦楽中道)、単なるコントロールではないですね。

 だいたい僕ら程度でコントロールなんてし切れないからね。だけど、絶対にある一線を越えないという、怒りを爆発させるとか、喜んで舞い上がってしまうとか。そこまで持っていくと自分が自分でなくなるでしょう。だから非常に危険なんですよね。

浜町:そうですよね。手術をやっていて、自分が切れたらどうしようもないですものね。

 いや、切れる人はいっぱいいるんですよ。手術して怒鳴り散らすとかね。逆にものすごい高揚する。だって普通の人間なんですから。外科医になるために生まれてきたという特別な人為を持っているわけでもないし、そのための特殊な教育なんか全然受けていないです。医学部に入って、国家試験通ったら、誰だって外科医になれるわけだから。

浜町:ある意味、自分の言っていること、言いたいことが伝わっているかどうかというのは、感覚でしか知ることができないんですか。

 いやいや、確認作業はできるんですよ。別の言い方をしたり、ちょっと間をおいて「さっき言ったことは分かった?」とか、相手の気持ちを少しリラックスさせておいて、返事しやすいようにしておいて、パッと聞いてみるとか。あるいは、別の言い方で聞いてみると、分かっていれば答えられることが答えられない。分かっていないんだなと思うけれど、「あなた、分かっていませんね」とは言わない。また別の言い方でもういっぺん説明したりする。やはり自分なりに、ああこれぐらいだったら分かっているだろうな、という納得ができるまではやりますよね。でも、そんなことをしなくても、誰も咎めたりもしないし、患者も文句も言わないし、だいたいは表面的には流れていくんだけれども、そこまでやらないとやはり一つ一つがきちっと完結しないという気がします。

浜町:やはり返事をしやすい表現というのがありますね。答えやすい雰囲気とか。もちろん空間の雰囲気というのもあると思いますけれども。

 まず自分が変化しないと駄目です。ある一つの目線からでは、絶対に見えないところがある。自分のほうから角度を変えたり、視点を変えたりすると、相手のすき問からまたピッと見えるんですよね。

千代:ところで、小学校でもみんなと仲良くして、そこでどんなふうに個性があるかというふうなことを言われるわけです。あれは順序が逆で、まず普通は個性があって、みんなと違うというのが大前提としてあって、そこでみんなとどうコミュニケーションするんですか、仲良くするんですか、公共的な約束を守るんですかという話ですよね。だから、いろんなコミュニケーションの中の公共性というものには、まずやはり「わたし」がきちっとしていないと。それは町づくりとかについても言えるのではないでしようか。

 自分の主張をはっきりさせて、その目的と手段というものを見せないといけません。

千代:自分の主語で語ることによって、初めて責任が生まれるということだと思いますが。

 はっきりと自已主張することによって当然責任が付きまとう。付きまとうことによって、自分はとらわれてしまうと思うから口を出さない人が多いように思うけど、逆にそこではっきりと自分の責任を明確化して、それを果たすことによって、次の自由が獲得できるんだ、権利がもらえるんだ、ということです。そこを勘違いしているものだから、自分の責任というものが表に出ないような形で物事を表現したり、関わったりしようとしている。だから相手からすれば、得体が知れない。あやふやで、結局は信頼関係が築けない。人相手の仕事というのは、自分の中で思っているだけでは駄目だし、それを相手に伝えない限りはハーモニーが生まれないわけです。コラボレーションできない。だから、そこに伝える能力というものが必要なんです。

千代:一つ面自い話なのですが、酉洋の建築家ル・コルビュジェ(Le Corbusier)やルイス・カーン(Louis l.Kahn)がインドで建築をつくりました。しかしインドの職人たちは近代的な技術がないので、伝えても理解してもらえない。そこでカーンという建築家はどうしたかというと、職人と一緒になって働いて、ヨーロッパ的な造り方を教えた。ル・コルビュジェはどうしたかというと、そのインドの素朴な造り方が面白いと言って、それを自分の表現の中に取り入れていくというやり方をします。だから全然やり方が違うんですが、何かそういういろんなコミュニケーションの中で、本人そのものが変わっていく部分はあると思います。

 おのれを知るというのはすごく大事なことで、今現在ここにいる自分を知るだけでは駄目ですね。1年前と1年後の自分は変わっているわけだから、変わったところが見抜けないと駄目。その自分を見つめる環境も変わっているわけだから。動いている地球の上で電車に乗って、その電車の中で走っている。このことを理解していないと、おのれを知ることにはならない。

千代:頭の中に、ナビゲーションマツプみたいなものが必要なわけですね。

 いつもいつも自分に興昧を持っていないと駄目。自分を眺めている自分というのがいつもいないと駄目です。

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【心臓といのち】

千代:心臓外科が他の外科と違うところは何ですか。

 一番の違いは時間との見えない戦いということです。外科医がやり損じたということもないとは言いませんが、ベストを尽くしてもその時間が、患者さんの心臓にとっては少し長すぎた、耐えられなかったということが必ず起こるわけです。だから、絶対私がやれば100%成功して死ぬことはない、と言い切れる心臓外科医は世界中にいません。

 しかもその弱っている心臓を手術すればするほど、手術の完成度だけの間題だけではなくて、どれぐらいの時問でやるか、その時問がその心臓にとって問に合う時間だったのか、ということが間題になって、それは手術前こは分からないのです。手術をやっている最中でも、アラームランプがついて、「もうだめですよ」とわかるわけでない。

岡田:心臓が声を上げているような感じですか。 

 触った瞬間に、自分の頭の中でイメージしている心臓があるんです。ここが悪くて、こういうふうにしてあげたらいいだろうな、というイメージ。お見合い前の写真と釣書で、こうだろうなと思っているのが、初めて実際、出会ったというような感じです。

千代:黒人でも白人でも同じ心臓だとお聞きしましたけれども、実際手術で触ったりするときは、ものではなく人というようなニュアンスでしょうか。

 毎回が出会い、それも突然の出会いではなくて、一応きちんとしたイメージを描いて出会うというようなその繰り返しです。

岡田:西洋では二元諭で、「身体は機械で魂は別である」という考え方がありますよね。だから、移植なんかも簡単なんだという説明がよくなされるのですが、向こうのお医者さんたちってどうなんでしょう。やはり心臓は機械と思っているんですか。

 いや、そういうふうに西洋人はこうで、日本人はこうで、仏教はこうで、キリスト教はこうでというはっきりとした区別はなくて、実際はさまざまです。日本人だって、その辺は割り切った人もいるし。ヨーロッパ、アメリカ人でも、すごく心臓は一つの生き物と思いながら、手術をしている人だっていると思いますよ。

 例えば一つの国で心臓外科医の数なんていうのは、本当に俵の中の米粒一つですよ。だから、その米粒一つを取って、この俵とあの俵の米はどう違うか、みたいな話をしたって、しょうがないわけだし。この俵の中にすべての均質な米粒が詰まっているわけではなくて、大粒、小粒、いろんなのがやはりあるわけです。人間というのはそれほど均質なものではないから。

千代:最後に、子どもの感性に戻ってお聞きしたいのですが、もし自分が大動脈瘤になったとして、自分の心臓をロボットで操作できるようになったら、やってみたいと思いますか。

 自分の体を自分で手術する?やりたくないですね。全身麻酔で、ぐっすりと眠りたいです。

千代:世界中で一番技術を持っているのが、自分しかいないとしてもですか。

 上手下手というのではなくて、そういうのは人に委ねたいですね。絶対自分が一番うまいなんて、保証なんてどこにもないですから。そう思い込むことがまずおかしいです。だからやっぱり困ったときには人に頼むという人間の社会のあり方であると、そこまで人を信じられないなら死んだほうがいい。人と人の係わり合いなんです、生きるということは。

 1対1の信頼関係、やったことに対して責任をとる、考えていることを伝える、人を信じたり信頼されたりする、そういうことができるかできないかだけの話です。

須磨久善氏略歴

すまひさよし:1950年生まれ。兵庫県出身。大阪医科大学卒業。三井記念病院心臓血管外科部長、湘南鎌倉総合病院院長、葉山ハートセンター院長を経て、現在財団法人心臓血管研究所スーパーバイザー。冠動脈バイパス手術症例を3000以上経験し、1986年に世界に先駆けて胃大網動脈グラフトを使用し、各国で臨床例が広まる。海外での公開手術多数。

感性哲学5 (2005.9.20発行より)

 




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