日本で初めてバチスタ手術(肥大した心臓の一部を大胆に切り取るという手術)を成功させ、多くの人の命をその腕で救っておられる須磨先生に、葉山ハートセンターでお目にかかった。
小学生の頃
一人っ子で、しかも祖父母と同居していましたから、甘やかされて育ちました。勉強はとび抜けてできる方ではなく、おとなしい子どもでした。絵や花が好きで、家にも花を植えていました。学校への行き帰りは、家々の花を見ながら通いました。好きな科目は図工でした。物を作るのが好きだったのです。家庭科で雑巾を縫ったら、下手だと言われました。今は手術でよく縫っていますから、外科医の適性は、小学校の時にはまだ判断できないということなのかもしれませんね。
心臓外科医を目指す
中学二年か三年のときに、社会人としてどういう仕事を一生続けていこうかと考え始めました。人とかかわりながら仕事をして、幸せな一生を送りたいと思っていました。
人間のつながりの中で生きていくわけですから、人と付き合ったり関わったりしなければなりません。それならば、いさかいとか競争をしながらではなく、何かをしてあげて喜んでもらえるような仕事をしたいと思いました。これが僕の仕事選びの原点でした。
そういう仕事でどんな仕事があるのかと考えていた時に、医者という仕事が思い浮かんだのです。周囲から医者になれとすすめられたわけではありません。
僕が子どもの頃に考えていた医者とは、患者さんがいて、治してあげて喜んでもらうという、シンプルなものでした。治すために自分が誰かをやっつけなければいけないとか、足を引っ張らなければいけないとか、自分はベストなことをしたにもかかわらず、結果的に相手の人は不幸になったとか、そういうややこしい関係はないと思っていました。人に喜んでもらって、社会人としてちゃんと生活していける、いい仕事だと思いました。
心臓外科医を目指された理由は?
大学生の頃、心臓のバイパス手術が初めてアメリカで行われました。大学の図書館でアメリカのジャーナルを見ていたら、その論文が目についたのです。手術のイラストを見てもわかりやすく、とても効果的だという気がしました。そういうことを手掛けられる医者になりたいと思いました。
実際に医者になってみて、複雑な人間関係の中で戸惑ったり悩んだりしたこともありました。しかし、そういう中をくぐり抜けてきて五十歳を越え、原点に戻れたように思います。常に患者さんと接して、困っているところを治してあげるために一生懸命仕事をしていると、相手も自分も幸せになれるということが、この歳になってわかってきました。
NHKの「プロジェクトX」こいう番組で、先生がバチスタ手術に取り組まれた経緯を取り上げていましたが、それによると先生は医局の壁に悩み続けてこちらへ来られたということでしたが....
医局の壁というのは、学閥のことですね。あれは僕だけが悩んだということではなく、日本の医療制度がそういうものだということなのです。東大を出れば東大の、京大を出れば京大の学閥に入ります。名も無い大学を出た人間は、その隙間で生きていくしかない。そういう中で「どうしてなんだ」と思う時期は、誰にでもあるのです。あの番組では、少し大げさに描かれ過ぎたかなと思います。
心臓外科医をやっていて、よかったと思うことは?
外科医とは、最初は人の体を傷つけるという悪いことをするのですが、その後その人に「この手術を受けてよかった」と喜んでもらって、実際に長生きしてもらうという、言ってみれば逆転ホームランを打つような仕事なのです。「手術を受けてよかった」と元気に帰って行かれるのを見ると、逆転ホームランを打って「よくやった」と言われるのと同じような気持ちになるわけです。特に心臓の場合は、直接命がかかっていますから、そういう点ではうまくいった時には何よりもうれしいし、うまくいかなかった時は、それをずっと一生背負わなければいけないのです。
手術とは
手術というのは、手術室に五十人入れてみんなでやろうというわけにはいきません。本当の少数精鋭で、執刀するのは一人か二人です。ですから、一人ひとりの能力が完成されていて、しかも気持ちがひとつにつながっていないと、目標が達成できません。
心臓手術の場合の目標とは、きちっとした手術をするということだけでなく、どれぐらい早くできるかという時間の問題があるのです。同じ手術でも、二時間でやるのと、四時間でやるのと、六時間でやるのとでは、結果が全然違います。
外科医がいくら急いでやろうとしても、それを手伝う人たちがついてこなかったら、素早く終わらせることはできません。ですからサッカーやバスケットや野球みたいに、スターティングラインナッブの人数と各自のポジションが決まっていて、みんながその通りにきちんとこなせるかどうかが重要なのです。
初めての手術でも、一から十まで全く新しいことをやるわけではなく、今までやってきたことの組み合わせの中に、幾つかの新しいやり方があるわけです。基本的には、普段の手術できちんとしたことができていれば、何とかできると思います。そのためには、今までやってきたものをどういうところでどう組み合わせて使っていくか、その中でどの部分が新しくて、その新しいところをみんながそれぞれどういう役割で動くのかということが重要です。それを教えるのがチームリーダーの役割です。
難しい手術をする時に、ポイントになることは?
難しくても難しくなくても、心臓の手術は下手をすれば患者が死にます。ですから自分が手術に関わる時は、まず集中することに努めます。できるだけ頭の中で手術のイメージを創っていって、その中へ自分を入れていきます。あまり余計なことは考えません。
先生が手術のイメージトしーニングをされている場面をテレビで拝見しました。
あれを毎回しているわけではありません。あのようなことをしなくても、普通の手術ならば頭の中にイメージが浮かんできますからね。あれはバチスタ手術の初期の頃で、ニカ月ぐらい病院にカメラが入っていました。僕の部屋にも家具のようにカメラが置かれていて、あの場面を撮られてしまったのです。
本当に助けられるかどうかわからない患者さんに、難しい手術をしなければならなくなった。どう切ってどう縫えば一番よいかが教科書にも書かれておらず、自分で創っていくしかない。イメージが頭の中で出来上がっていないと手術が出来ないーーー撮られたのは、そのイメージを創っていた時だったと思います。
バチスタ手術への挑戦
「プロジェクトX」では、二例目のバチスタ手術に踏み切る契機になったのは、一例目で亡くなった患者の奥様から、「今後もバチスタ手術を続けて下さい」という手紙をいただいたことだったとなっていましたが…。
そのお手紙はとてもありがたいことで、二例目のきっかけにはなりましたが、新しい手術を始めるということは、そういうことだけで決まるわけではありません。きっかけ以前に、心構えとか覚悟とかの凄まじい思いと、周到な準備とがあるのです。
最初の手術に取り組む二〜三年前からあの手術を知り、徹底的に勉強しました。ローマで教授をやっていた頃、ヨーロッパで初めてバチスタ手術をやった外科医とも、アメリカで初めてバチスタ手術をやった外科医とも、何回も話をしました。僕の頭の中では、その手術がどういう意味をもっていて、どういうふうにやって、どこが満足できない結果で、どのように方法を変えていったらいいのかというのが、わかっている部分とわからない部分がありました。それでも、これまでの僕のキャリアを知っている人が、「この手術を日本でやるとしたら、お前しかいない」と言ってくれました。
そうこうするうちに患者さんが実際に出てきて、長年診てこられた内科医や家族からも「なんとか手術をして欲しい」と言われました。「今やらないと、この人は死んでしまう」ということで手術の日が決まりました。ヨーロッパから一人、アメリカから二人、この手術をよく知っている世界でも名の通った外科医が来てくれて、手術を始めました。
バチスタ手術を始めると決めた時から、一例目でうまくいかなかったらやめるというような、安易な考え方で取り組んだわけではありません。あの手術をやり続ければ、助からない人を必ず助けられるようになるという確信を、自分の中できちんともっていたからこそ始めたのです。
挑戦というのは、思いついてやってみるというような瞬間的な話ではありません。勉強を重ねて、何のためにやるのかを徹底的に自分が理解して、出来る限りの準備を整えて始める。そして、一度始めたらどんな困難があっても自分の納得がいくまできちっと続けて答えを出す。これが本当の挑戦です。
一例目に結果が出せなかったからということで二例目をやらないようだったら、最初からやる資格はありません。それでは挑戦でも何でもないからです。二例目をやるのは当然です。当然ですけれど、いつどういう形で二例目をやるかは、いろいろな人の意見を聞いて、自分なりの判断をしました。
ヨーイドンで最初につまずいたから棄権してしまうということではなく、もっと深い辛い覚悟があって、こういう新しい手術が生まれ育って、人を助けていくわけです。
その後、百人以上の人にバチスタ手術をしました。そのうちの半数以上の人が元気になっています。また、世界中からこの手術を学びに来たり、僕自身も海外へ行って教えたりしています。
小学生に授業をして
NHKの「ようこそ先輩」で、小学生に授業をされましたね。
最初に聞いた話では、教師になる人が二日間母校へ行って、工夫を凝らした授業をするということでした。しかし、小学生に学校で二日問も医者や病院や病気のことを話すのは、「つまらないだろうからやめましょう」とNHK側に言いました。
医療というのは、医者が学校へ行って黒板の前で話してもわかってもらえるものではありません。でも、子どもたちが病院へ来て僕が仕事をしている現場を見るのなら、何か感じるものを与えられるかもしれない。それならば、と....。
当時、番組が始まって三年経っていましたが、ぞれまで子どもたちが泊まり掛けで他のところへ行って授業を受けるということは無かったということだったので、この話は終わったと思っていました。ところが一ヵ月ほどして、「行かれるようになりました」という連絡が来たのです。NHKも学校もPTAもいいと言っているし、子どもたちも行くと言っている、と。それで、一日は僕が出掛けて行って、もう一日は子供たちが泊まり掛けでここへ来ることになったのです。
実際にやってみて、いかがでしたか。
疲れました。授業の一単位時間が百分で、それを一日に三回やりましたが、相手が同じですから三回とも違うことをやらなければなりません。子どもを相手に百分話すのは大変でした。
最初の百分は「心臓ってなあに」というテーマで、心臓の模型を見せました。また、心臓の音がみんなに聴こえるような聴診器を作ってもらい、それで心臓の音を聴きました。
次の百分は「手術ってどうやるの」というテーマで、実際の手術道具を持って行き、本物の人工血管を縫う練習をしました。
最後の百分は「命って何だろう」というテーマでした。前もって子どもたちに「命を感じた時」という題で作文を書いてもらっておいて、その中から何人かに読んでもらい、それを基にみんなで話し合ったのです。
いろいろな体験談とか考えていることを出し合った後、「命って何だろう」と聞いたのですが、結局誰もわからない。勿論、僕にもわかりません。命とは言葉で言うものではなく感じるものだと思うから、「病院で何か君達が感じてくれたらいいな」ということで、一日目の授業は終わりました。
次の日に子どもたちが病院へ来ました。翌日に手術を予定している患者さんがいて、手術の見学を了解してくださいました。ついでに「子どもたちと話をしてもらえませんか」と頼んだら、「自分も同じぐらいの歳の孫がいるから、いいですよ」生言ってくださいました。それで、手術の前日に子どもたちは患者さんと話をしたのです。「明日の手術は恐いですか」「心臓の手術をしなければいけないと聞いた時は、どんな気持ちでしたか」「元気になったら最初に何をしたいですか」など、みんな活発に質問していました。
患者さんと話したことで子どもたちは感情移入し、他人事ではないという感じになりました。次の日、患者さんが手術室にむかう前に、子どもたちは「がんばって下さい」と声をかけていました。
そして、スクリーンに映し出される実際の手術を見学し、手術がうまくいったことを見届けて喜び、何人かは泣いていました。
手術の見学会について
手術の見学会は、あの番組のためだけではなく、患者さんが同意してくれれば、いつでも行っています。この病院がオープンしたのは二千年の五月ですが、その年の七月の終わりから小学生に手術を見学させるという試みを始めました。
見学会を始めた理由は?
一九九六年にローマから日本へ帰って来ましたが、その頃子どもの残忍な殺人事件があったり、「子どもがきれる」という言葉が当たり前のように使われていたので、「子どもが変わったな」と思いました。
しかし、その頃の新聞やテレビを見ていると、親と学校の先生が責任のなすりつけあいばかりしていて、それでは問題が解決しないと感じました。大人と子どものコミュニケーションが必要ではないかと思ったのです。
子どもが常軌を逸脱した行動をするというのは、大人になる一社会人になる)ことに対して不安があるのではないかと思います。いい大人になって親にも褒めてもらいたいし、幸せになりたいはずなのに、どうしたらそうなれるのかがよく見えないのではないでしょうか。東大に入るためにはどういう受験勉強をしたらいいかということは教えてもらっていても、いい大人になって幸せになるためにはどういう仕事をしたらいいかというイメージ作りが、今の時代は全然できていません。それには、大人の仕事の現場を見せることが大事ではないかと思うのです。医療をということではなく、どんな大人でも自分がしている仕事の現場を子供に見せたらいいのではないでしょうか。僕は医者だから病院を見せたい。これが手術の見学会をしている理由のひとつです。
もうひとつは、いい医者を育てたいからです。そのためには、受験の渦に巻き込まれて成績がいいから医学部を受けたとか、親が医者だからいやいや医者になったとかいうプロセスではなく、子ども心に医療を見て感動して医療の道を選んだという方が、絶対にいいと思うのです。
そういう原点を作るためにも、子どもたちが実際に医療の現場を見る機会があればいいのですが、自分が病気になったり見舞いにでも行ったりしない限り、なかなか病院には行きません。ですからこちらの方からドアを開けて、そういう機会を作ってあげようと思ったのです。
ただ、見学に来るかどうかは全然わかりませんでした。ミーティングで「こういうことをしたいのですが、協力してくれますか」とスタッフに言ったら、「協力しますが、本当に小学生が病院を見にきますかね」という反応でした。でも、近所の小学校に張り紙をしたらパラパラ来始めて、もう千人を越えました。
最初は小学生全部を対象にしていました。でも低学年の子どもには話がわからないようで、まだ早いと感じたので、現在は小学校高学年から中学生以上にしています。感想文を必ず書いてもらっていますが、みんなそれなりに「見に来てよかった」というようなことを書いています。
あるべき大人の姿を見せる
学校でも生命尊重についての授業が行われています。そういう授業の中で写真やビデオを見せたり、実際に難病を克服した人に教室に来てもらって話をしてもらうな、と工夫をするこ、その時は子ごもたちは命の犬切さを感じて意見を言ったり感想文を書いたりするのですが、なかなか定着しません。
その時はそう思っても忘れてしまうのでしょう。そんな簡単なことで子どもの気持ちが変えられるなら、みんないい子に育っているはずです。そういう一面的なことではなく、もっと子どもがワクワクする将来像を描けるような、生きた機会を作ってあげた方がいいと思います。
日常的な接点としては、幸せな大人の姿を子どもにたくさん見せてあげることではないでしょうか。父親や母親がふてくされたりヒステリックだったりして、世の中真っ暗みたいな顔をしていれば、子どもは絶対に幸せにはなれません。
こういうふうにはなりたくないというサンプルはあっても、こうなりたいというものが見つからない限りは、子どもはイライラしますよね。僕らだって、手術をする時に「こういう手術をやってはいけない」というものぱかり見せられて、でも目の前に助けなければいけない人がいるとしたら、ではどうしたらいいのかと不安になります。
須磨先生の授業を受けた小学生たちは、先生に、あるべさ大人の姿を見たのではないでしようか。
あの番組の後で、みんなからたくさん手紙が来ました。その中で、僕と会った日から医者になることを決めたという子どももいました。うれしいですね。というのは、その子は先程言ったような原点を持っているので、きっといい医者になれると思うからです。そういう子どもが、将来この病院へ医者こなって来るかもしれませんね。そうですね。最初はあの番組を断ったけれど、やってみてよかったと思います。あの子たちと会えて本当に幸せでした。
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